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(小林尹夫-哲学ルーム)

『君たちは―』(第7回) 放浪と彷徨の学生生活

君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)-私の読書体験ノート


 大学1年の夏休み、私は信州に帰り、高校時代の友人の紹介で、ほぼ1ヶ月半に亘って、北アルプス山中・上高地小梨平のテントキーパー(梓川村が経営していた宿泊用大テントの管理者)のアルバイトに就いた。とにかく、「喧騒とスモッグの大都会・東京」から逃れたかったのだ。否、それ以上に、大学への期待と幻想が破られ、東京での生活に嫌気がさし、自分の「心の故郷」に帰りたかったのである。完全なる逃避である。もし、私自身の平家物語研究やジャーナリスト志望の決意がもっと断固たるものであったならば、独自の研究活動のルートや方法を模索したはずである。が、そうはならなかった。結局それらの要求・希望はそれほど強いものではなかったということである。この大自然とアルプス山中でのテント暮らしの生活は、私の心の中にあった「首都東京における社会的成功」(母や兄・助力者に報いる道)への方向性を完全に打ち砕いてしまった。大学・東京からの逃避は、求められていた「社会的成功」への道からの逃避でもあった。
 人生の方向感覚を失った私は、「哲学に返れ」という教えも忘れ、母や兄や多くの援助者の「犠牲」を顧みることなく、バイトをしてはあてのない旅に出るという生活を繰り返し、大学2年の夏には友人と二人で2ヶ月間の東南アジア・ヒッチハイク旅行に出かけた。当時は、安運賃のフランス郵船を使ってそのままヨーロッパに向かうことも出来、当時流行っていた「バイトしながらの世界放浪の旅」に出る道もなくはなかった。が、最終的には家族や支援者のことを考えると、故郷を捨てることは出来ず、結局は帰国した。しかし、帰国しても大学に通う気にはなれず、下宿に籠り、詩や旅日記や小説を書いたりして、絶望的な日々を過ごしていた。というのも、東南アジア旅行は単なる旅ではあったが、マレーシアでは戦前の日本軍の惨たらしい住民虐殺事件を聞かされ、ベトナム戦争最中のサイゴンでは「べトコン銃殺」直後の街中の騒然たる風景や銃弾でボロボロにされた教会建物などを見せつけられ、人間世界の悪風にほとほと嫌気がさし、かなり虚無的な人生観を持つようになっていたからである。気分的にはどん底であった。例えば、東南アジアから帰国後に書いた詩『国境』の内容はこんな風なものだった。

 アルプスは国境のようなものだ。
 此岸と彼岸と、アルプと月と。
 俺はそんな国境で生きたい。
 そしてそんな国境で死にたい。
 黒と白と、後は吹雪くだけの、そんな世界で。
 俺の孤独な霊魂は、ある冬の日の夜更けに、透明の気を突き破り、
 真っ白い純潔の雲に乗り、生まれ故郷の月に帰って行くのだ。
 その生の言いようもない哀しみが、この世地獄の漂泊者たることを止めて、
 俺は死の国で真の生命を生きるのだ。
 この世の俺の肉塊は、北アの深い谷間で、
 チロリチロリ流れる清冽な雪解け水の奏でる子守唄を聴きながら、
 俺の望んでいた本当の眠り、明日への期待すること無き死の序曲、
 それは永遠に終わる事なき死の序曲でしかない眠り、
 古代エジプト人が夢見た霊魂復活の為のミイラの眠りを、眠るだろうか。
 時折流れる雪氷と落石の不気味な合奏は、一人ぼっちの俺に、
 自然が贈るレクイエム。
 北穂のドームは俺のための死の殿堂、天が贈る自然の墳墓。
 俺の死は祝福されるのだ。 
 
 人生は決して、まっすぐに、一直線に進むものではない。紆余曲折は免れず、道を踏み外すこともある。いずれにせよ、こうした詩からも明らかなように、当時の私の日 常は極めて非社会的なものであり、非政治的なものであり、非哲学的なもので  あったことは確かな事実である。まさに文字通りの「悩める一般学生」であった。「君たちはどう生きるか」という問いは遠いものとなっていた。
 が、付言しておかねばならないのは、この時期、私を救い慰めてくれたのは下宿の仲間たちであった、ということである。違う大学の者も居れば、同じ早稲田でも学部が違う者、学年が違う者も居た。皆地方から出て来た学生ばかりで、育ちも趣味も考え方も生きかたも多種多様であった。そんな仲間と、同じ本を読み、同じ音楽を聴き、互いの個人的体験を語り合い、激しく議論をぶつけ合い、影響し合い、切磋琢磨して学び合っていた。こうした友人たちとの交流が、かろうじて私を現実に繋ぎとめてくれていた。
 さて、そんな時―1965年12月20日―学生が冬休みに入る直前、大学の臨時評議会はこっそりと授業料値上げを決定した(公表は冬休み中に発行された新年度入試要項の中だけ)。これが第1次早大闘争の発火点となった。それは、私にとってはまったく偶然に発生した出来事、まったく思いがけなく到来した出来事であった。がしかし、この闘争が、私を冷徹な現実に引き戻し、私の人生を大きく転換させていくことになる。