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(小林尹夫-哲学ルーム)

『君たちは―』(第20回)・叔父さんが語った「生産関係論」について・2

君たちはどう生きるか』(吉野源三郎-私の読書体験ノート

 

(2)生産力の発展と向上と成長は必然的にそれに応じた「生産関係」(生産をする人間の関係)を生み出す。

 人類が最初に作り出した生活集団、その社会とは古代から原始にかけて存在したコミュニティーとしての原始共同体社会であった。そこではまだ生きるための欲望たる食も、住も、衣も自らの力で生産することができないため、すべては大自然に依存していた。つまり、食料は生産ではなく、大自然からの採集であり、山野からの狩猟であり、河川からの漁労であった。生産するための道具類はまだ発明できなかった時代、すべては人間の体、手足が道具となった。これで大自然の猛威と、各種の障害にたちむかっていくためには、人間の集団による一体としての協力と共同と連帯を必要とした。歴史時代とそのような環境が協力と共同と連帯の社会を作った。だからここでは獲得も所有も分配も社会的共有であり、その土台の上に社会的道徳感情論が生れた。そこには支配も被支配もなく、真の自由と平等の世界があった。対立と抗争と戦争も必要なかった。そうした時代、原始時代、石器時代縄文時代が平和的な時代、平和な社会であったということは、歴史学者、人類学者、日本の考古学会の定説でもある。採集の時代が数百万年も続き、やがてその中で石器が生み出され、土器が生み出され、青銅器、鉄器が生み出され、同時に農耕が始まっていく。この農耕の始まり、それが人類の本格的な生産活動の始まりであった。

 人類が農耕を始めたのは精々数万年前のことであり、人類の採集生活、原始的共同体社会は数百万年も存在していたのである。人間の本質がその共同性、共同的社会性にあるのは当然なのである。