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(小林尹夫-哲学ルーム)

『君たちは―』(第20回)・叔父さんが語った「生産関係論」について・6

君たちはどう生きるか』(吉野源三郎-私の読書体験ノート

  例えば、『日本の人類学』(筑摩書房刊―人類学と霊長類学を専門とする山極氏と先住民族の起源の研究者として世界的に有名な尾本氏の対談)の中に次の様な一節がある。

『尾本…今、戦争の起源についてお話をされましたが、狩猟採集民の大きな特徴は戦争をしないことです。…ニューギニア高地ではある種の儀式として集団間で戦う民族がいます。裸で槍を投げあう彼らを見て、都市文明の人は、狩猟採集民が戦争をしていると勘違いする。実は彼らは農耕民で、イモなどを栽培し、ブタを財産にして います。戦いも、死者がでたらストップするという、まるでスポーツのようで、戦争ではない。

山極…そうですよね。南米でもアチェ、ヤノマミ、ワオラニとかは農耕民ですよ。

尾本…たとえば、私が研究しているフィリピンのネグリトや、市川光雄さんが研究された中央アフリ力のピグミー、田中一一郎さんが研究された南アフリカのサン(ブッシュマン)には戦争などないですよ。なぜなら、彼らは対人用の武器を持っていないからです。動物を狩る武器と戦争で使う武器は違う。縄文人の鏃と弥生人の鍍では殺傷力が全然違う。武器を使って組織的な争いをするのが戦争で、狩猟採集民にはありません。

「戦争はなぜ起こるのか」の答えは単純ではない。現代人の多くは、あまりにも多くの戦争を身近に見ているので、戦争と無縁の狩猟採集民の人たちがいることを知らない。狩猟採集民のことなんか、学校で教えない。私は、そういう人たちのことを広くみんなに伝えるという義務が、人類学者にはあると思っています』と。

 かつての人類は、惨たらしい戦争などはしなかったし、知らなかった。そういう時代が何十万年も続いていた。惨たらしい殺し合いとしての戦争が発生したのは、数千年前に始まった奴隷制社会からであり、この時代に階級性制度が生れ、国家権力が発生してからである。領土や奴隷(生産者・人民)を支配し、私有した豪族・貴族は、その貪欲な本能そのままに、支配地域・領土の拡張を求め、国家権力たる武力を振い、野蛮な戦争を繰り返していった。

 原始共同体が崩壊したあとの社会は奴隷制社会である。 ヨーロッパでは古代ギリシアの古代都市国家(ポリスとしてのアテネ、スパルタ)、そして古代ローマ帝国であり、日本では弥生時代である。そしてこの時代から人類史上に戦争と内乱、対立と抗争、暴力と犯罪が日常化していった。奴隷制から封建制、資本主義から現代の独占と帝国主義へ、原始共同体が解体された以降、人類社会に戦争のない時代は一度もない。このような対立と抗争、暴力と犯罪、戦争と内乱の原因はみな、経済問題である。つまりは富と財産、土地と領土、金をめぐる争いなのであり、根底には人間の欲望の自由放任がある。

 国家権力と戦争の問題については、第1次・2次世界大戦の歴史的事実を取り上げ、後日徹底的に語ることにしよう。