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(小林尹夫-哲学ルーム)

『君たちは―』(第20回)・叔父さんが語った「生産関係論」について・8

君たちはどう生きるか』(吉野源三郎-私の読書体験ノート

 

(5)封建体制崩壊の中から、ブルジョア革命―国際的に代表的な革命が1789年のフランス革命、国内的には1860年代の幕末維新―を経て、資本主義制度が生れた。資本主義とは、搾取者たる資本家集団を支配階級とし、被搾取たる賃金労働者を被支配階級とする生産関係がその中心となっている経済体制である。言うまでもなく、国家権力は支配階級たる資本家集団、特に大手の独占資本家集団が握っている。

 資本主義とは何か。この問題については、まず「君たちはどう生きるか」の中で取り上げられている問題を取り上げ、その本質を明らかにしていこう。

 まず第1は、コペル君の発見した「人間分子の関係、網の目の法則」についてである。彼は、輸入品である「粉ミルク」が自分の手元まで届くまでの過程について考えてみた。其の結果、粉ミルクが外国で生産され、それが缶詰になり、船で日本に運びこまれてくるまで、そして日本の港に着いて、それがトラック・列車や商人の手によって自分の手許に届くまで、無数の人間が関わりあっていることに気付いた。彼は、一見ばらばらに見える人間分子(無数の個々人)は、お互いに見たことも会ったこともないが、知らない内に網の目のように繋がっている事実に驚き、これを「人間分子の関係、網の目の法則」と名付けた。

 この問題について、叔父さんは「生産関係論」として説明を加えているが、前にも述べたように、極めて部分的一面的な説明に終わっている。そこで、改めてマルクス史的唯物論の観点から、コペル君の問題提起について考えてみよう。

 私は、先に(叔父さんが語った「生産関係論」について・8で)、次のように述べた。

【(2)生産力の発展と向上と成長は必然的にそれに応じた「生産関係」(生産をする人間の関係)を生み出す。

人類が最初に作り出した生活集団、その社会とは古代から原始にかけて存在したコミュニティーとしての原始共同体社会であった。そこではまだ生きるための欲望たる食も、住も、衣も自らの力で生産することができないため、すべては大自然に依存していた。つまり、食料は生産ではなく、大自然からの採集であり、山野からの狩猟であり、河川からの漁労であった。生産するための道具類はまだ発明できなかった時代、すべては人間の体、手足が道具となった。これで大自然の猛威と、各種の障害にたちむかっていくためには、人間の集団による一体としての協力と共同と連帯を必要とした。歴史時代とそのような環境が協力と共同と連帯の社会を作った。だからここでは獲得も所有も分配も社会的共有であり、その土台の上に社会的道徳感情論が生れた。そこには支配も被支配もなく、真の自由と平等の世界があった。対立と抗争と戦争も必要なかった。…採集の時代が数百万年も続き、やがてその中で石器が生み出され、土器が生み出され、青銅器、鉄器が生み出され、同時に農耕が始まっていく。この農耕の始まり、それが人類の本格的な生産活動の始まりであった。人類が農耕を始めたのは精々数万年前のことであり、人類の採集生活、原始的共同体社会は数百万年も存在していたのである。人間の本質がその共同性、共同的社会性にあるのは当然なのである】と。

 人間は集団として、お互いの力を合わせて生きてきた。個人ではなく、集団として、一つの社会的グループとして生き抜いてきた。これは過去も、現在も、まったく不変であり、人間は本質的に社会的動物なのである。

 

原始共産主義社会が崩壊し、奴隷制社会が始まると、多くの人々の手によって社会的に生産された財貨・富が、一握りの力の強い支配者集団の手によって私有化された。このような財産・富の私有が始まってから、人類は深刻な矛盾に晒されていく。「生産する者、働く者」と「生産物を独り占めにし、富の独占を図らんとする私的所有者」との矛盾・対立である。この両者は一時的には一体性をもって機能していくが、やがて必然的に対立し、分離し、新たな社会勢力(新しい、より優れた生産能力をもった人々)が古い、もはや生産活動進歩の枷となった旧支配権力を倒し、新しい時代を築いていく。新たな時代を生み出し、その運命を握っているのは、常に生産者であり、生産的社会集団である。新しく支配者となる集団もこの生産者集団の支持がなければ、新しい社会・経済制度を生み出し、成功させることはできない。

資本主義は、生産の社会性を大きく拡大させた。商業の発展、そして蒸気機関を使った機械的大工業の出現は、地域的で身分閉鎖的な封建制度を歴史上から追放した。資本主義的自由競争体制の中、その産業活動は前代未聞の速度と規模で急速に拡大を遂げていった。生産活動は個人的色彩を完全に失い、巨大な社会的行為となった。生産の目的と販売地域は全国、全世界に広げられ、商品は全国、全世界を駆け巡っていった。人類が資本主義に突入する至って、その生産力は巨大なものに発展を遂げ、その社会性もまた巨大・広大なものに成長を遂げた。しかし、資本主義制もまた、奴隷制封建制と同様の私的所有制度であった。一握りの資本家―小資本家ではなく大資本家・独占資本家―が大半の生産手段を握り、多くの生産物-そこには多くの労働力が詰まっているが、その労働力を提供している労働者が得るのはほんの少しの賃金だけである―を私有し、販売市場を支配し、利益・富を掻き集め、社会のものであるべき利益と富を独占している。彼らは、国家権力を支配し、税金・国家予算をも「私有」「独占」し、自らの利益・富を蓄えていっている。

コペル君のいう「人間分子の関係、網の目の法則」とは、こうした「生産の社会性」ということであり、その根底には「生産者たる労働者・人民と、生産手段・生産物の私的所有者との対立という人間関係」が横たわっているのである。