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(小林尹夫-哲学ルーム)

アメリカ発世界恐慌(2008年リーマンショック・1929年大恐慌)とソビエト社会主義(1928年第1次・1933年第2次計画経済) (第4回)

  2008年に爆発した大恐慌リーマン・ショック」発生の過程をたどってみよう。

 2006年末、米国の4人家族向け住宅の購入用ローンの総額は9兆9千億ドルに、2008年半ばには10兆6千億ドル(1ドル=105円として1113兆円)に達していた。それだけではなく、「サブプライム・ローン」と呼ばれる低所得者向けの高金利住宅ローンを組み込んだ金融商品―債権担保証券―は「グローバル時代」に相応しく、世界中で販売されるようになっていた。勿論ドル建てであり、その決済はすべてドルによって行われる。当時、こうした金融商品を大量に引き受けていたのがアメリカの大手投資銀行リーマン・ブラザーズだった。もっとも、この債券担保証券市場には、「手堅い」はずの銀行も参入しており、更にアメリカのみならず全世界の金融関連企業が、こぞってこの危険な債券担保証券市場に身を投じていた。こうして、グローバル資本主義の時代に相応しく、全世界の金融関連企業とその市場は、網の目のように張り巡らされた血管・神経―ドル資金流通という血液の流れ―によって固く一つに結び合わされていたのである。

 実際、破綻の最初の兆候が現れたのは本家本元のアメリカではなく、ヨーロッパにおいてであった。2007年7月、サブプライム・ローン証券投資に絡み、ドイツの地方金融機関が支払い停止に陥り、他の銀行に救済されるという事件が起こり、8月にはフランスのBNPパリバ銀行BNP=フランス国立銀行とパリバ銀行が合併して生まれた欧州を代表するメガバンク)が「米サブプライム・ローン市場の一部証券の価格算出不明での混乱」を理由に、傘下のファンド(投資会社)に「支払いの一時停止」の指示を出すという事件が起こっていた。

 実はアメリカの住宅投資は2006年の7月~9月には17%も下落し始めていた。

きっかけは、サブプライム・ローンの最大の特徴であった「変動金利型ローン」にあった。最初の2,3年は元本返済が免除され、金利も低く設定されているが、その期間が過ぎると一気に高金利の支払いが始まり、返済額は急激に増える。限度を超えた借り過ぎの借金を抱えていた下層低所得者には到底払いきれない額であった。住宅がよほどの高値で売れない限り、弁済不能にならざるを得ない。こうなると売りに出される住宅が急に増えていき、当然住宅価格は下落せざるを得ない。もはや、「住宅価格はこれ以上値上がりすることはない」という限界点に達していたのである。

 最初はまだそれ程目立った「不動産担保ローンの破産」は見られなかった。しかし、住宅ローンの貸し手(金融機関)は、2007年には130万件近い物件(2006年に比べて79%増)の差し押さえ手続きを開始していた。こうして、2007年に入ると不動産担保ローンの破産が顕著になり、先に触れたように「一時的」ではあったが、ドイツの地方銀行支払い停止、フランスのBNPパリバによるファンド(投資会社)凍結などが相次いだ。それは、BNPパリバが「アメリカ証券市場の一部で流動性が消滅したため、一部の資産評価が不可能になった」と声明したように、アメリカ証券市場でドル資金調達の不調が発生したため、一時支払いを停止せざるを得なかったのである。要するに「網の目のように張り巡らされた血管・神経」(ドル資金流通という血液の流れ)の一部に支障が発生したのである。この時はかろうじて「一時停止」で終わったが、もはや全面破綻は避けられなくなっていた。

 かくして、2008年に入ると、「住宅は絶対に値上がりする」という神話が全面破綻し、「住宅バブル」が弾け、世界中にばら撒かれていた「債券担保証券」や「新合成証券」に組み込まれていた「サブプライム・ローン」がその内部で暴発し始めた。その暴発が、「安心格付け商品」であったはずの様々な「債券担保証券」「新合成証券」に対する投資家の信用をグラつかせ、そうした債権の投げ売りに走らせ、金融機関間の信用取引を破綻・崩壊させたのである。ドル資金の流れは完全にストップし、住宅ローン・車ローン・カードローンが関連したあらゆる分野にわたる債権の資産価格が暴落していった。そして、リーマン・ブラザーズが、2008年9月15日に経営破綻し、これが引き金となり、世界的な金融・経済危機へと広まっていったのである。リーマン・ショックとは、アメリカの大手投資銀行リーマン・ブラザーズ社」の破綻に端を発した世界的な金融・経済危機であった。

 日本でも、日経平均株価も大暴落を起こし、9月12日(金曜日)の終値は12,214円だったが、10月28日には一時は6,000円台まで下落し、1982年(昭和57年)10月以来、26年ぶりの安値を記録していた。ただ、当時の日本は長引く不景気から、幸運にもサブプライム・ローン関連の債権にはあまり手を出していなかったため、被害は比較的小さかった。金融会社では大和生命保険が倒産したり、農林中央金庫が大幅な評価損を被ったものの、直接的な影響は当初は軽微であった。しかし、当然のことながら、リーマン・ショックを境に世界的な経済の冷え込みから消費の落ち込み、アメリカ経済への依存度が強い輸出産業は大きなダメージを受け、結果的に日本経済は大幅な景気後退を余儀なくされた。

 ところで、経営破綻し、世界的危機の要因となった投資会社・投資機関はリーマン・ブラザーズだけではなかった。2007年からの住宅市場の大幅な悪化とともに、投資銀行ベアー・スターンズ、ファニー・メイやフレディ・マックなどの連邦住宅抵当公庫なども危機的状態となっていた。が、それらへは、政府支援機関による買い取り単価上限額の引上げ、投資上限額の撤廃など様々な手が差し伸べられ、2008年9月8日、公庫に対しては、アメリカ合衆国財務省が追加で約3兆ドルをつぎ込む救済政策が決定された。「大き過ぎて潰せない」というのがその理由であった。

 一方、リーマン・ブラザーズは見捨てられた。リーマン・ブラザーズは、破綻の前日までアメリ財務省連邦準備制度理事会FRB)の仲介の下でHSBCホールディングス(ロンドンを拠点とする世界最大のメガバンク)や韓国産業銀行など、複数の金融機関と売却の交渉を行っていた。日本のメガバンク数行も参加したが、あまりに巨額で不透明な損失が見込まれるため、買収を見送ったと言われている。リーマン・ブラザーズの負債総額はアメリカ史上最大の約6000億ドル(約64兆円)に達していた。最終的に残ったのはバンク・オブ・アメリカメリルリンチ、バークレイズであったが、彼ら自身も打撃を食らっており、救済の余力はなかった。結局、アメリカ政府が公的資金の注入を拒否したため、交渉不調に終わった。かくして、2008年9月15日(月曜日)、リーマン・ブラザーズ社は連邦倒産法第11章の適用を連邦裁判所に申請するに至り、倒産。これにより同社が発行している社債や投信を保有している企業や取引先への影響・波及・連鎖などの恐れから、またそれに対するアメリカ合衆国議会・アメリカ合衆国連邦政府の対策の遅れから、アメリカの経済に対する不安が広がり、世界的な信用収縮、金融危機へと連鎖していったのである。

 巨大金融機関の投資銀行ベアー・スターンズ、ファニー・メイやフレディ・マックなどの連邦住宅抵当公庫は政府によって救済され、それほど大きくはなかったリーマン・ブラザーズは見捨てられ、倒産に追い込まれていった。

 その過程をたどってみれば「リーマン・ショック=21世紀型グローバル恐慌」の実態がはっきりと見え、現代資本主義の危機が如何なるものかがはっきりして来る。

 次回はこの問題を掘り下げ、現代資本主義の恐慌―リーマン・ショック―の真の姿を明確にしていこう。