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(小林尹夫-哲学ルーム)

アメリカ発世界恐慌(2008年リーマンショック・1929年大恐慌)とソビエト社会主義(1928年第1次・1933年第2次計画経済) (第6回)

    ここで、再び、最初に取り上げた浜矩子同志社大教授の、『「21世紀型恐慌」は、今まで繰り返し起こってきた恐慌とは、根源的に違う部分があると同時に、古典的な恐慌としての性格も多分にある。新しいものと古いものの両方の側面を持ちながら、最も恐ろしい経済現象』となっている、との指摘を取り上げ、その意味するところを掘り下げてみよう。

 浜教授は、「21世紀型恐慌(リーマンショック)は、今まで繰り返し起こってきた恐慌とは、根源的に違う部分があると同時に、古典的な恐慌(代表的なものが1929年大恐慌)としての性格も多分にある」としているが、結論的に言えば、「恐慌」としては本質的に全く同じ「経済現象」であり、そうした「経済現象」(恐慌)は、彼女が言うように繰り返し起こっている、のである。

 この点について、ヌリエル・ルービ二NY大学経営大学教授は、スティーブン・ミームジョージア大学歴史学准教授との共著『大いなる不安定』(2010年9月 ダイヤモンド社)は明確に次のように述べている。

『すでに多数の解説や分析が発表されているが、そのほとんどすべてで、今回の危機は過去に例がなく、二十一世紀の金融に特有の特異な出来事なのだとされている。(本著の)第四章では、今回の危機を過去の危機と比較して、このような単純で素朴な見方を否定する。2008年の出来事(リーマンショック)は、百年前どころか二百年前の金融論者にとってもなじみ深いものだったはずであり、危機の始まりから終息までの道筋もそうだが、 世界各国の中央銀行が最後の貸し手になって危機の鎮静化に努めた点もなじみ深かったはずだ。今回の危機はそれ以前の危機とは細部が違っているが、さまざまな点でよく知られた台本にしたがっている。歴史はめったに繰り返さないが、韻を踏むことは多いという格言の通りになっているのである』と。

「21世紀の金融危機」(リーマンショック)と「過去の大危機」(代表的な1929年世界恐慌)とは、細部では異なっていたが、その本質的部分においては何一つ変わるところがなかった―この見解の正しさは、ルービ二教授がリーマンショックが起こる2年前の2006年に、その発生を予告・予言・警告していたという事実によって証明されている。

『NY大学の経済学教授、ヌリエル・ルービ二は、世界経済が順風満帆だった2006年(9月7日)に、権威ある会議(国際通貨基金の会議)で、極めて明確な警告を発している。…説得力のある警告だったが、聴衆の多くは懐疑的であり、馬鹿げていると考えた人も多かった。

(ルービ二は)アメリカ経済で近く、一生に 一度しかぶつからないほどの住宅バブルの破裂、厳しい石油ショック、消費者信頼感の急激な落ち込み、その結果として避けがたい深刻な不況が起こる、と予想したのである。何とも厳しい予想だが、ルービニはさらに恐ろしいシナリオを示した。住宅所有者がモーゲージ・ローンで債務不履行を起こしているので、数兆ドルのモーゲージ証券(MBS)が混乱しはじめ、世界の金融システム全体が機能を停止するというシナリオである。結論として、住宅バブルが近く崩壊し、「金融システムでシステミック・リスクが発生し」、ヘッジ・ファンドや投資銀行、さらにはファニーメイ(連邦抵当金庫)とフレディ・マック(連邦住宅金融抵当金庫)という巨大な政府系機関が経営困難に陥り、破綻すらしかねない、と論じた。

 ルービニがこうした懸念を表明したとき、IMF会議の参加者はまったく懐疑的であった。

 その後一年半、この予想通りの事態になっていったとき、ルービニは悲観的な見方をさらに詳しく論じていった。2008年初め、「アメリカがぶつかっている問題は流動性の逼迫にすぎない」とエコノミストのほとんどが主張していたとき、ルービニははるかに深刻な信用危機によって家計や企業が打撃を受け、とくに金融機関が劇的な打撃を受ける、と予想した。ベアー・スターンズの崩壊のはるか前に、大手証券会社(つまり投資銀行)のうち、二社が破綻し、他の大手も独立を失う、と予想している。いまの形のウォール街はすぐに消滅し、1930年代以降にはなかった規模の激変が起こる、とルービニは警告した。その数か月後、ベアー・スターンズ(の破綻)はすでに遠い記憶になっていた。リーマン・ブラザーズは破綻した。メリルリンチバンク・オブ・アメリカに買収され、モルガン・スタンレーゴールドマン・サックスは結局、銀行持ち株会社になって、これまでより厳しい規制を受けるしかなくなっている』と(『大いなる不安定』)。

 全てはルービ二教授の予測・予言・警告の通りであり、彼の見解・分析理論の正しさを裏付けるものであった。

更に『ルービニは危機が世界的な規模のものである点も、他の論者よりはるかに早い時期から指摘している。他国はアメリカの金融危機の影響を受けないと市場の論者が断言していたとき、ルービ ニは危機がすぐに他国に伝染し、アメリカ経済の病が世界的な金融危機へと発展する、と警告した。正しい警告だった。さらに、世界的な金融危機が過去数十年で最悪の世界的不況を引き起こし、 中国、インドなど、アメリカの問題からは影響を受けないとみられてきた国も打撃を受ける、と予想した。他のエコノミストがインフレの危険に注目していたとき、ルービニは世界経済が大恐慌以来のデフレの悪循環に陥って大打撃を受けかねない瀬戸際にあると、正確な予想を発表している』と(同著)。

 そのルービ二教授は「1929年世界恐慌」について、どのように語っているのか? 驚く勿れ!次の記述は、現代の危機であるリーマンショックに関するものではなく、1929年の危機に関するものなのである。

『ブームはどの時点ではじまったのだろうか。不動産売買熱が突然起こったときであり、株式を売買するように分譲地を売買する投機をはじめて行った人が、数日ではなくても数週間に二倍から三倍もの利益をあげたときなのかもしれない。あるいは、新しい技術と新しい産業に基づく新しい経済の魅力にひかれて、庶民が一生の蓄えをウォール街に投じるようになって、安定が崩れたのかもしれない。

 政治家や政府高官は短期間で利益をあげようとする動きを抑えるどころか、奨励しさえしている。アメリカ大統領という権威ある政治家すら、政府がビジネスに干渉するべきでないと語り、 FRBも投機熱を抑える政策はとらなかった。金融のイノベーションと実験が経済成長に貢献していると賞賛された。新しい種類の金融機関が登場して、未熟な投資家にほとんど理解されていない証券を売り込み、多数の借り手に信用を供与していった。

 ある時点から、ブームはバブルになった。野心的な銀行から庶民にいたるまで、誰もが限度いっぱいまでレバレッジを高め、価格は上昇する一方だという疑わしいが奇妙なほど説得力のある見方に賭けた。経済学者の大部分はこの動きを歓迎し、市場はつねに正しいのだから干渉しないのが最善の方法だと主張した。ごく少数ながら、いずれ暴落が起こると警告した経済学者がいたが、馬鹿にされるか無視された。

そして暴落が起こった。ウォール街は大揺れに揺れ、由緒正しい金融機関がよろめき、恐怖にかられた債権者が押しかけた。嵐が少し静かになると、最悪期は過ぎたという主張があらわれたが、状況はすぐにまた悪化する。金融機関は奈落の底へと転落していき、投資銀行の一部、とくにゴールドマン・サックスは炎上をまぬがれたが、伝統を誇る金融機関がいくつも、一夜にして崩壊した。信用枠は消え、金融システムの精巧な資金取引の仕組みが機能しなくなり、信用力の高い機関すら債務の借り換えに苦労するようになった。

 株式市場が暴落し、差し押さえが急増し、企業が倒産し、消費者は消費を控えるようになった。 大規模なポンジ式詐欺が発覚し、金融業界全体に詐欺や腐敗が横行していたことも明らかになる。 そのころにはアメリカの病が他国にも波及しており、各国の株式市場が暴落し、銀行や投資機関 が崩壊していった。失業率が急上昇し、鉱工業生産は急落し、価格の下落でデフレの亡霊があらわれてきた。一つの時代が終わったのである。

以上の動きが起こったのは二年ほど前ではない。八十年以上前(1929年)、大恐慌の前夜である』と。

 おそらく読者は、この記述を読み、これが現代の危機(リーマンショック)について語られたものと錯覚したであろう。それほど、二つの経済危機・恐慌は「細部では異なる」ものの、本質においては全く「同じパターンの繰り返し」でしかないのである。

ここで、1920年代から30年代のアメリカ経済に何が起こったのか、詳しく見てみよう。