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(小林尹夫-哲学ルーム)

アメリカ発世界恐慌(2008年リーマンショック・1929年大恐慌)とソビエト社会主義(1928年第1次・1933年第2次計画経済) (第8回)

  ジョン・K・ガルブレイスの著作『大暴落 1929』(2008年11月・日経BP社)を紐解きつつ、いったい何が起こったのかを辿ってみよう。

 1927年、アメリカの「株式ブーム」をバブル化させる大きな国際的変動が起こる。その伏線は1925年に当時蔵相であったウインストン・チャーチルが断行した「金本位制」への復帰であった(大戦中、国際的な金本位制は崩壊)。第1次世界大戦中、ポンドは下落し、1920年の為替レートは、戦前の1ポンド=4.861が1ポンド=3・2ドルになっていた。ポンド安はイギリス帝国主義の政治的経済的力・権威の低落の結果であり、旧帝国イギリスの没落、新興帝国アメリカの台頭という、帝国主義陣営の主人公・中心的支配者・リーダー、基軸通貨の歴史的移動・転換の始まりを物語っていた。大チャーチルは、この威信低下が我慢ならなかった。そこで、金本位制への復帰を打ち出したのである。しかし、「原因」(植民地からの輸入・収益に頼るという他力依存に陥り、国内生産力の強化を怠って来たために国内の生産・経済構造は古くなり、他国特にアメリカに決定的に立ち遅れてしまっていた)を変えずに「結果」だけを変えてもうまくいくはずがなかった。このチャーチル金本位制復帰による急激な「ポンド高」が齎したものは、値上がりした英国製品の一層の購買不振・輸出不振であり、外国製品特にアメリカ製品のイギリスへの輸出増大であり、イギリスの一層の経済・財政力の低下であり、国際的な威信低落であった。それに更に輪をかけた悪材料が、イギリス経済を支えていた石炭市場の低迷であった。大戦終結の結果、石炭の需要が急激に低下していた。イギリス政府・企業は石炭の値段を下げ、コスト削減を強行、その結果イギリス国内では階級闘争が激化し、ゼネストが打たれ、政治不安が拡大していく。

 こうして、1926年になると、アメリカの金利高と成長性に魅かれ、イギリス・ヨーロッパから大量の金がアメリカに流出し始めた。慌てた英・独・仏の銀行界幹部はアメリカを訪れ、「金融緩和」を求めた。アメリカ政府はこれを受け止め、FRBアメリカの中央銀行たる連邦準備理事会)は公定歩合を4%から3・5%に引き下げ、更に大量の国債を買い上げた。その結果、大量のマネー―余剰資金―が銀行・市中にもたらされた。

こうした資金が生産活動に投資され、活発な生産活動・経済運営に回っていけば問題はないのであるが、先に述べたように第2次世界大戦が終わるや、アメリカも生産過剰・設備過剰が目立ち始め、実際の経済活動は停滞期に入りつつあった。そのため、大量の資金を手にした金融資本・大投資家は、これを株式相場に投じ、株高を煽り、小金・大金を手にした人々を株式投資に誘っていった。資本主義は こうした生産過剰・設備過剰、大量の余剰資金の出現を必然としているだけでなく、こうした状況を利用し、金もうけを企む、金融資本・大投資家の存在を必然としている。

 当時、アメリカでは次のような大物相場師がこの機を狙い、活発な動きを見せていた。ジョン・J・ラスコブ―GMの財務担当副社長を務め、デュプンのピエール社長の片腕となり、28年大統領選挙では民主党の全国委員会会長に指名された人物であり、皆が認める「卓越した投資家」であった。ウイリアム・C・デュラント―GMの創設者で、GMを追い出された後は株相場師一本やりとなった。そのほかにも、7人のフィッシャー兄弟、カナダ生まれの穀物相場師アーサー・W・カッテンなどがいた。金融資本と組んだ彼らの手によって、株式ブームが作り出され、1928年末には株式市場は凄まじい熱狂に包まれていった。

 1928年秋の大統領選挙で当選したフーバーは「投機は人殺しよりも悪質な犯罪であり、犯人を告発し罰しなければならない」という信念の持ち主であったが、それは胸の内に秘められていただけで、外に出されず、結局パニックも起こることなく、株式市場には過去最高の買いが殺到していった。銀行は連邦準備銀行から5%という安い金利で金を引き出し、それに上乗せした高い金利12%で証券会社・投資家に貸し付け、また証券会社は株を担保に入れさえすればいくらでも金を貸し出した。またこの頃新たに登場した投資信託銀行により企業はその資産に縛られることなく、自由に株・債権を発行することができ、資産の2倍、3倍、数倍の株・社債が発行され、売りに出されていった。既に「レバリッジ」的手法も生まれ、運用されていた。金もうけに貪欲な金融資本・大投資家たちの「欲求」が、こうした「新発明」を次々を生み出し、その欲望を満たしていった。こうして「猫も杓子も」株式ブームに吸い込まれていったのである。

 1929年10月、株式ブームはついにその頂点に達し、恐るべき崩壊が始まる。