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(小林尹夫-哲学ルーム)

アメリカ発世界恐慌(1929年大恐慌)とソビエト社会主義(1928年第1次・1933年第2次計画経済) (第11回)

第7回の冒頭に次のように記した。

『第1次大戦後、しばらくは、アメリカは未曾有の好景気「黄金時代」に酔いしれることができた。しかし、ヨーロッパの戦後復興が始まり、特にヨーロッパでも農業生産が再開され始めると、まずアメリカ農産物の輸出が減り、農産物価格が低落し、農民の収入は激減し、農民の生活困窮が始まった。工業部門は、競争力の強い自動車産業は好調を維持していたが、石炭・紡績部門は不振に陥っていた。当然のことながら、戦争特需が終わった結果、農業部門だけでなく、工業部門の実態経済は、確実に「過剰生産」になっていたのである。

しかし、アメリカ国民も、経済界も、クーリッジ大統領(在任は1923~29)と政府も、こうした実態経済にまったく目を向けていなかった。それは、当面、株式市場は右肩上がり状態の中にあり、世論の勢いや雰囲気は「黄金時代」の夢の中にあり、酔いから覚めることなく、人々は「合衆国は買いだ!」と信じ続けていたからである』と。

キーワードは「過剰生産」である。生産物が過剰であるだけでなく、生産力(生産設備)の過剰でもあった。そして、重要なことは、それは資本主義特有の「問題」であったことである。というのも、第1次世界大戦のさなかの1917年に社会主義革命を勝利させ、英米仏日など帝国主義列強の干渉戦争に勝利したソビエトロシア・社会主義ソビエトには「過剰生産」などまったく無く、恐慌も起こっていなかった。むしろ、ソビエトは資本主義国が大恐慌に襲われ、崩壊の危機にあったのに対して、大躍進を遂げていた。当時、このアメリカ発世界恐慌の外で、その影響の埒外で、ソビエトレーニンの後継者たるスターリンボリシェビキ党の指導の下、「第1次社会主義建設5か年計画」を推し進め、大きな成功を収めていたのである。まさに「恐慌」「過剰生産」は資本主義特有の問題、資本主義故の必然的現象であった。

スターリンは、資本主義制度下におけるこうした恐慌発生の必然性について、マルクス史的唯物論・経済学に基づいて、簡潔に次のように指摘した。

『生産力を厖大な規模に発展させた資本主義は、それにとって解決のできない矛盾にひっかかってしまった。資本主義はますます多量の商品を生産し、その値段を下げて競争を激化させ、中小の私有財産所有者の大衆を零落させ、彼らをプロレタリアとなし、プロレタリアートの購買力を減退させるに至り、その結果、生産された商品の売れ行きは不可能になってくるのである。

資本主義はまた、生産を拡大し、大工場に幾百万の労働者を集中し、生産過程に社会的性格を与え、これによってそれ自身の土台を掘り崩すのである。何故なら、生産過程の社会的性格が生産手段の社会的所有を要求するにもかかわらず、生産手段は依然として生産過程の社会的性格と両立しない資本主義的私有として残っているからである。

生産力の性格と生産関係の間のかかる相容れない矛盾は、生産過剰による周期的恐慌として現れる。その時、資本家は自ら作りだした住民大衆の零落によって、自己の商品に対して支払い能力のある需要を見出すことができず、その結果、生産物を焼き、製品を破棄し、生産を停止し、生産力を破壊することを余儀なくされているのに、その時、幾百万の住民は商品の不足からではなく商品の過剰生産のために、失業と飢餓に苦しまなければならなくさせられているのである。

このことは、資本主義的生産関係が社会の生産力の状態に適応しなくなり、且つそれと到底相容れることのできない矛盾に陥ったことを意味する。このことは、資本主義が現在の生産手段に対する資本主義的所有制を、社会主義的所有制によって取り換える事を使命とする革命を胚胎することを意味する』(ソ党史小教程・第4章)と。

資本主義が世界恐慌どん底で苦悩しているとき、社会主義ソビエトは大躍進を遂げていたのであるから、皆、このスターリンの「マルクスが主張した恐慌論」に耳を傾け、その正当性を認めざるを得なかった。この恐慌問題を分かりやすく論じたマルクス主義的文献は、エンゲルスが1883年に発表した、「社会主義の入門書」として評価も高い『空想から科学への社会主義の発展』である。

エンゲルスが説いた「資本主義制度下で恐慌が起こるメカニズム」を導きに、その発生の経過、原因、結果を詳しく説明しよう。

 

封建制度から資本主義制度に変わると、糸車や手織り機や鍛冶屋の槌に代わって、紡績機や力織機や蒸気槌が現れ、個人の仕事場の代わりに、数百人・数千人の共同作業を要する工場が現れた。こうして、生産手段(機械や動力)が大規模になると、生産そのものも、封建時代の一連の個人的な行為から、一連の社会的行為(分業による共同の生産活動)に変わり、生産物も個人的生産物(狭い範囲での物々交換的な流通対象の生産)から社会的生産物(商品として大量に売り捌かれる)に変わった。

 ただ、こうして社会的に生産されることになった大量の生産物を取得・支配する人は、生産手段を現実に動かして生産物を現実に生産する人ではなくて、それらを私有する(個人的所有とする)資本家であった。  

生産手段と生産は本質的に社会的なものになったが、それらを所有・取得形態は、個人的な私的生産を前提としていた。すなわち、資本家各人は自らの生産物を所有・私有し、それを自分で市場に運んだ。かくして生産方法は、このように個人的生産ではなく社会的生産になっていたのに、依然としてその所有・取得形態はこれまでどおりの個人的私的取得形態であった。この矛盾こそ、資本主義の本質的特徴であり、この矛盾の内に現代の一切の衝突の萌芽が含まれている。

 

そして、個人的私的に生産手段(と生産物)を所有する資本家の手に、ますます多くの生産手段(と生産物)が集中していく一方、かつての副業的であった賃金労働者、職人・農民のような個人的生産者、下級武士のような人々はそれまでの職業・地位を追われ、多くの人々が労働力以外に何物も持たない終身的賃金労働者として、資本家の所有・経営する工場に雇われていった。

こうして社会的生産と資本主義的な私的所有との矛盾はプロレタリアート(賃金労働者階級)とブルジョアジー(資本家階級)の対立となって現れた。

 

ところで、資本主義的商品生産を基礎とする社会の特色といえば、どの生産者(資本家)もそれぞれ持ちあわせている生産手段をもってめいめいの独自の交換の必要(市場の要求)に応じて生産するのだが、何人も、彼の商品と同じものがどれだけ市場に現われるか、そのうちのどれだけが必要とされるかは知らない。何人も、彼の生産物に対して現実の需要があるかどうか、生産費が回収できるかどうか、そもそもそれが売れるかどうか、それさえ知らない、ということである。

だから、資本主義の下で行われるのは無政府的な生産である。が、無政府的といっても、商品生産も、それに特有な、固有の、それと切りはなすことのできない法則をもっている、この法則は、その無政府性にかかわらず、無政府性のうちに、無政府性をとおして自己を貫徹する。即ち、この法則は社会的連関の唯一の形態である交換(市場)の内に出現して、個々の生産者に対しては、競争を強制する法則となる。要するに、無政府性故に生じたこの競争の法則は、生産者から独立して、 生産者の意志に反して、盲目的に作用する。この法則は資本主義的生産形態の自然法則として自己を貫徹する。つまり、生産物(市場における激しい販売競争)が生産者(生産物を私有する資本家)を支配する、ということである。即ち、資本家は弱肉強食の過酷な生存競争を必然とする法則から逃れることはできないのである。

個々の資本家の間でも、全産業と全国家の間でも、自然的もしくは人為的生産条件の良し悪しが、死活を決定する。敗者は容赦なく一掃される。これはまさにダーウィンの個体の生存競争だ。それが一層の狂暴さをもって、 自然から社会へと移されたのである。動物の自然の立場が人類発展の頂点と見られることになったのである。

 

ところで、資本家・資本主義的生産方法がその生存競争に使う主な手段は、無政府性とは正反対のものだった。すなわち、あらゆる個々の生産現場・工場内での生産の社会的組織の高度化(機械化)であった。これがために、旧来の平和な安定状態は終りを告げた。ある工業部門にこのような高度の組織(機械システム)が導入されると、その部門では従来からの古い経営方法はそれと共存することはできなかった。また、それが手工業に侵入すると、それは古い手工業を亡ぼした。アメリカ大陸発見とそれにつづいた植民地の拡充は、 商品の販路を何倍か拡張し、それらはまた、手工業のマニュファクチャー(大工業的生産スタイル)への転化を促進した。その結果、地方的生産者同士の闘争が勃発しただけではなく、地方的闘争はさらに国民的闘争に発展し、17世紀及び18世紀の商業戦争となった。最後に、大工業と世界市場の成立は、この闘争を世界的にすると同時にこれを前代未聞のはげしいものとした。グローバル化と激烈な国際的競争は資本主義の必然の産物・結果であった。

 

社会的生産における無政府性という推進力、これがすべての産業資本家に、大工業において機械をどこまでも改良することを命じ、その必要に応じて各産業資本家もまた彼の機械をますます改良する。 そうしなければ彼らは没落するしかないからである。ところで、この機械の改良とは、とりなおさず「人間労働の過剰化」である。このように、機械の採用とその増加が、少数の機械労働者による数百万の手工労働者の駆逐を意味するならば、機械の改良はますます機械労働者そのものの駆逐を意味する。そして結果において、資本の平均的な雇用需要を超過する多数の「待命賃金労働者」(就職待ちの失業者)を作り出す、これは、エンゲルスが1845年に完全な作業予備と呼んだものであって、それは、産業界が多忙な時期には自由に利用でき、それに必ず続く恐慌のときには街頓へ真っ先に放り出される労働者である。それは、労働者階級の資本(資本家)との生存闘争において、いつも彼らの足にまつわる錘(おもり)であり、賃金を資本の要求にあうような低い水準に引き下げる役目をする調節器である。これに要するに、機械は、マルクスの言葉をかりていえば、労働者階級に対する資本の最も有力な武器となる。すなわち、それによって労働手段は絶えず労働者の手から生活手段を奪い、労働者自身が生産した生産物は労働者を奴隷とするための道具となるのである。

「機械、すなわち労働時間を短縮する最も強力な手段は、労働者とその家族の全生活時間を、資本の価値増殖に自由に使用しうる労働時間にかえる最も確実な手段となる」のである。このようにして、ある一人の過度の労働が他人の失業の前提となり、また、消費者を求めて全地球をかけめぐる大工業は、国内大衆の消費を飢餓の低限にまで制限し、これによって自国の国内市場を破壊するのである。「相対的過剰人口、すなわち産業予備軍をつねに資本蓄積の拡大に均衡させる(一方が増えれば他方が減るという)法則は、ヘーファイストスのくさびがプロメーテウスを岩に釘づけしたよりも、もっと固く、労働者を資本に縛りつける。それは資本の蓄積があればそれに照応して貧困の蓄積があるということだ。だから一方の極(資本家の側)における富の蓄積があれば、同時に反対の極、すなわち、彼自身の生産物を資本として生産する階級の側(賃金労働者の側)には、 貧困、労苦、奴隷状態、無知、野獣化、道徳的堕落の蓄積がある」(マルクス資本論』)ということだ。資本主義的生産方法はそのままにして、これとちがった生産物の分配方法を採用することはできない。

現代の世にも「相対的過剰人口」たる「産業予備軍」は、非正規労働者・パート労働者・アルバイト・失業者として大量に存在し、一方には「超高給取り経営者」「空前の規模の社内内部保留金」が存在する。マルクス・エンゲルスの時代とまったく同じであり、何らの変わっていない。

註:「ヘーファイストスのくさびがプロメーテウスを岩に釘づけした」はギリシャ神話の一つ。プロメーテウスは、ゼウスから火を盗んで人間に与えたため,ヘーファイストスによってコーカサスの岩山にしばられ,毎日鷲に肝臓を食われては癒えるという苦しみを3万年もの間なめさせられた。

 

 

さて、近代的機械の改良能力は極端にまで増加しているが、個々の産業資本家にとって、それは、自分の機械をたえず改良し、その生産力をたえずたかめねばならぬといふ強制命令と変わった。大工業の異常な膨脹力、これにくらべればガスの膨脹力などはまことに児戯に等しいほどに大きい膨脹力であり、それは、われわれの前に、いかなる障害もものともしない質的および量的膨脹欲として現われている。もし、障害をなすものがあるとすれば、それは消費であり、販路、すなわち大工業の生産物の市場である。その市場の膨脹力は、さしあたりは大工業の異常な膨脹力とは全く別個の、広さにおいても強さにおいても、大工業の膨脹力に比してはるかに弱い法則によって支配される。市場の拡大は生産の拡大と歩調が合わない。市場の拡大よりも、生産の拡大の方がはるかに大きい。衝突は不可避となる。しかも、資本主義的生産方法そのものを破壊しない限りにおいては、ほかに解決はありえない。この衝突は周期的になり、資本主義的生産は新たな「悪循環」(生産力は大膨張を遂げるが、市場はそれほど拡張されず、両者の間に矛盾・衝突が生まれる)を作り出す。

 この周期的に発生する「悪循環」の調整として発生するものこそ、やはり周期的に発生する「恐慌」である。