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(小林尹夫-哲学ルーム)

アメリカ発世界恐慌(1929年大恐慌)とソビエト社会主義(1928年第1次・1933年第2次計画経済) (第12回)

 最初の全般的恐慌が勃発したのは1825年で、それ以来、工業と商業の世界の「悪循環」を調整する「恐慌」がくり返され、ほぼ十年に一回、文明社会は大混乱におちいった。交易は停止し、市場は充満し、生産物は山と積まれて買手がなく、現金は姿を隠し、信用は消え、工場は閉鎖し、労働大衆はあまりに多くの生活手段を生産したために、逆に、生活資料にことかき、破産は相次ぎ、競売、競売、また競売である。

 こうした不況は数年間続く。生産力(工場)も生産物(商品)も大量に浪費され、破壊される。つまり倒産、商品の投棄、投げ売りされ、山積された商品が多かれ少なかれ減価して、生産と交換とが再び動き始めるまで、こういう状態がつづく。

 かくして、恐慌は、ブルジョアジーにはもはや近代的生産力をこれ以上管理する力が無いことを暴露した。結局、人類社会は、新しい社会的共同所有を原理とする社会主義(国有化と計画経済)へと転換する以外に、生き延びていくことができないことが鮮明になってきた。

エンゲルスは、『空想より科学へ』のなかで、恐慌を通じて、自由競争的資本主義から独占的資本主義の移行が始まっていったことを明確に書き記している。

 激しい自由競争の結果として、強い資本が生き残り、やがて独占的大資本が生まれていく。国内における同一産業部門の大生産者たる大資本家たちは合同して一つの「トラスト」―生産統制を目的とする合同―である。彼らは、その「無政府的生産活動」の結果生まれる過剰性生産・恐慌を回避すべく、生産量を統制し、販売価格を協定し、市場に押し付ける。しかし、それでもうまくいかず、ついには一産業部門全体が唯一の大株式会社、即ち独占資本に変えられる。自由競争は独占に変わり、資本主義的無政府性も独占的計画性に変わる。まさに、生産活動の「社会化」であり、資本主義は「社会主義的計画性」に降伏し、それを採用せざるを得なくなっていくのである。しかし、大衆は、こうした一握りの「独占資本家」たちの露骨な生産の独占的私有を許さない。そこで、いくつかの独占支配の産業は国有化され、「全国民」の所有となる。

 エンゲルスは、資本主義が「社会主義」(生産の社会化)へ移行せざるを得なくなっている「予兆」として、資本主義下において生まれているいくつかの「国営企業」「国営事業」を取り上げている。「独占資本」や「トラスト」(独占資本の企業連合)の発生それ自身、経済活動の「社会化」「計画化」への接近であり、至る所に「社会主義の予兆」が見られる。独占資本主義国家による国有は、まずは郵便、電気、そして鉄道などの大規模な交通・通信・輸送機関において実行に移された。これらの産業は、まさに「国家」が「引き受けざるをえない」ものであった。

こうした「国有化」をエンゲルスが生きていた時代に最も熱心に推進したのは、ドイツ帝国の鉄血宰相ビスマルクであった。この時代、「ビスマルクの国有化」を「社会主義」だという、似非社会主義者が現れた。こうした風潮を知り、エンゲルスは、はっきりと次のように言明した。

『(独占資本的)株式会社になっても、トラストになっても、また国有が実行されたとしても、生産力の資本的性質(私有財産制)がそれによって廃棄されるわけではない。…近代国家もまた…資本主義的生産方法の一般的な外的諸条件を維持するために、ブルジョア社会が作り出した組織であるにすぎない。近代国家は、どんな形をとろうとも、本質的には資本主義の機関であり、資本家の国家、観念としての全資本家である。国家は、生産力の所有をますますその手に収めれば収める程、いよいよ現実の全資本家となり、ますます国民を搾取する。…生産力の国有化は、衝突の解決ではないが、それ自身の内には、この解決の形式的手段、即ちそのハンドル(予兆のこと)がかくされている』『(資本家は)生産手段または交通機関が成長して現実に株式会社では管理ができなくなって、経済的にいってそれを国有にするしか方法がなくて、国有化をするのだが、その場合それを今日の国家(帝政ドイツのような国家)がやっても、それも一つの経済的進歩である』と。

 こうして、独占に到達していった資本主義は、19世紀末―マルクス・エンゲルス死後―帝国主義へと転換を遂げていく。この帝国主義時代の経済的矛盾・恐慌問題について、理論的解明を行ったのがロシア革命の指導者、革命的マルクス主義者・レーニンであり、その著作『資本主義としての最高の段階としての帝国主義』(1916年)である。