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(小林尹夫-哲学ルーム)

『君たちは―』(第13回) 第1次早大闘争の「敗北」

君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)-私の読書体験ノート

 さて、闘争の方は1966年5月に入ると、4月23日に辞意を表明した大浜総長・理事に代わって阿部総長代行・新理事が登場し、「話し合い路線」が打ち出された。その後、各学部で分離試験に参加する学生が増えていき、闘争態勢は徐々に崩れていった。5月末、まず商学部で学生大会が開かれ、学部投票の結果スト中止が決定された。6月に入ると他の学部でも次々と学生大会が開催され、学部投票が実施され、闘争解除が進められていった。
 わが文学部では、6月3日から翌4日朝迄かかるという超ロングランの学生大会が開かれ、有志会のスト中止提案が否決され、スト継続方針が可決された。この大会で私がクラスを代表して「スト支持」の立場から意見発表を行ったことは既に述べた通りである。わが文学部だけが、唯一「スト続行」を採択したものの完全孤立であり、既に勝敗は決していた。6月18日、最後の文学部学生大会が開かれ、学部投票の結果、6月21日にスト中止が決まった。かくして、「早稲田を揺るがせた150日間」―第1次早大闘争―はここに終わりを告げた。
 その日、私は呆然としていて、何をしていたのかまったく記憶がない。闘争が終わって、初めて、この闘争が自分にとって「生活の全て」であったことを痛切に思い知った。しかし、確かに学内の学費・学館闘争は終わったが、私自身の闘いは終わらなかった。新たな、より重大な問題が、より深刻な哲学的・政治的問題が提起されていた。それは「革命」「社会主義」「戦争」に関する哲学的政治的問題に対する自らの態度決定を迫るものであった。
 これらの問題は、当時激しく闘われていたベトナム戦争社会主義陣営内部の「中ソ論争」と中国国内で開始された「文化大革命」、トロッキズムを掲げる新左翼内部の激烈な党派闘争等々と深く関わっており、簡単に結論の出せるような問題ではなかった。だが、当時の私には、この問題から逃げることなど絶対に考えられなかった。『君たちはどう生きるか』で繰り返し述べられていた教えが、潜在意識に深く刷りこまれていて、「自分の体験したことから出発し、何が正しいのか、正直に考えろ!」「自分はどう生きるのか、高い視点をもって、自らの体験を見据え、真剣に考え抜け!孤立を恐れず、信念を持って生きよ!」というその教えが、強く私を捉えていたからである。
 そして、「革命」「社会主義」「戦争」というような大問題は、大学での授業や研究によっては解決不可能であり、独学・独習によるほかなかった。それに、闘争によっても何一つ変わることのなかった大学に、今更期待することなど何もなかった。大学中退は必然の結論であった。

◆閑話休醍◆
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
 
 時代は今大きな転換期を迎えています。2018年とは如何なる年だったのでしょうか。「アメリカ第一」のトランプ政治によりアメリカはいよいよ求心力を失い、更に「米中対立」(民族主義的抗争)は国際経済を動揺・混乱させています。ヨーロッパもまた移民問題に揺さぶられ、「反移民」の右翼勢力が台頭し、EUは崩壊の危機を迎えています。中東・ロシアも然りです。かくして、現代資本主義はバラバラになり、世界は民族主義の嵐が吹き荒れ、混乱の中に投げ込まれ、かつて作家・ジャーナリストの落合信彦氏が語ったように、今や世界は野蛮化し、ジャングル化しています。
 しかし、歴史が教えているように、民族主義に勝利はありえません。第2次世界大戦における右翼民族主義の典型たるナチスヒトラーと日本軍国主義の敗北が、民族主義の運命が如何なるものかをよく教えています。
 では、今後世界はどこへ向かうのでしょうか。かつて「資本主義は自壊した」と述べて内外に衝撃を与えた一橋大学名誉教授の中谷巌氏(ハーバード大学経済学博士、三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長)は、2018年12月に発刊した『「AI資本主義」は人類を救えるか〜文明史から読みとく〜』(NHK出版新書)において、次のように語っています。『外部を排除(搾取)することで利益を確保してきた資本主義社会。しかし、排除すべき対象としての外部が徐々に消滅し始めた結果、産業革命以来今日まで200年あまり続いた資本主義世界の成長に陰りが見えています。…AI資本主義は世界経済を、或いは人類を救うことができるでしょうか。その答えは、AIをどのように活用するかにかかっていると思われます。「排除」に代わるものとして、私が提示するキーワードは「包摂」です。…私たちには、現代の危機を克服するための新たな哲学が求められています。「データイズム」(注:人間の自由意志ではなく、AIを駆使したデータの集積と分析結果を重視する考え方)でもなく「排除の論理」でもない新たな哲学、それが「包摂の論理」です。…社会的包摂とは、孤立した人や弱い立場にある人も含め、市民一人一人を社会の構成員として取り込み、支え合うという考え方のこと』である、と。氏によると、日本学術会議も「今こそ『包摂する社会』の基盤作りを」と題した提言を2014年に発しているということです。
 今や資本主義は終わりを告げんとしています。かつて封建制度が崩壊し、資本主義制度に移行したように、資本主義もまた次の社会制度へ―「包摂の社会」へ、突き詰めて言えば共同体社会から社会主義へと移行せんとしているのです。ここに歴史の必然の流れがあります。
 こうした歴史の流れ・法則を歴史上初めて解明し、体系的に述べた人物こそカール・マルクス(1818年〜1883年)その人です。現在、世界の多くの識者がマルクスに注目し、「マルクスを読みなおそう!」と訴え、マルクスに関する書物が次々と出版されています。あらためて、マルクスの教えについて、山本有三吉野源三郎が関心を寄せた社会主義について、大いに学び合い、討論し合い、その成果をブログに発表していきたいと思っています。
 コペル君がそうしたように、私たちもまた、「自分の体験したことから出発し、何が正しいのか、正直に考えよう!」「自分はどう生きるのか、高い視点をもって、自らの体験を見据え、真剣に考え抜き、孤立を恐れず、信念を持って生きよう!」ではありませんか。
                                                       2019年 元旦