(第2回) 2022年8月10日更新 次回更新は8月20日
なお、この論文では、岩波新書『独ソ戦争 絶滅戦争の惨禍』(大木毅著 2019年7月発行)を、「批判の俎上」に載せていることを、予め断っておきたい。
この著書の作者である大木毅(おおきたけし)氏は、1961年生まれ。立教大学大学院博士後期課程単位取得退学(専門はドイツ現代史、国際政治史).。千葉大学ほかの非常勤講師、防衛省防衛研究所講師、陸上自衛隊幹部学校講師などを経て、現在は著述業。主な著書――『「砂漠の狐」ロンメル』(角川新書 2019)。『ドイツ軍事史』(作品社2016)ほか。 訳書一エヴァンズ『第二帝国の歴史』(監修、白水社 2018)、ネーリング『ドイツ装甲部隊史 1916-1945』(作品社 2018), フリーザー『「電撃戦」という幻』(共訳、中央公論新社 2003) ほか、がある。
大木氏の経歴で、特に注目されるのは「防衛省防衛研究所講師、陸上自衛隊幹部学校講師」を務めていることである。実際、彼のこの著作『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』を貫いているのは、客観的に見て、それは紛れもなく「反共的」なイデオロギーであり、私のマルクス主義的哲学・イデオロギーとは完全に対蹠的である。
大木氏は、「はじめに 現代の野蛮」の中で、「独ソ戦」の核心は次の点にある、と明確に述べている。
『この戦争は、あらゆる面で空前、おそらくは絶後であり、まさに2次世界大戦の核心、主戦場であったといってよかろう。…しかし、独ソ戦を歴史的にきわだたせているのは、そのスケールの大きさだけではない。独ソともに、互いを妥協の余地のない、滅ぼされるべき敵とみなすイデオロギーを戦争遂行の根幹に据え、それがために惨酷な闘争を徹底して遂行した点に、この戦争の本質がある。およそ四年間にわたる戦いを通じ、ナチス・ドイツとソ連のあいだでは、ジェノサイドや捕虜虐殺など、近代以降の軍事的合理性からは説明できない、無意味であるとさえ思われる蛮行がいくども繰り返されたのである』と。
大木氏の歴史観によると、独ソ戦は「ドイツ民族とロシア民族(ソビエト内の諸民族)が互いにそのイデオロギーに基づいて、それぞれの民族の絶滅を目指して、残酷な闘争と蛮行を繰り返し、未曾有の惨禍をもたらした、まったく無意味な戦争であった」ということになる。
これに対し、私のマルクス主義的歴史観によれば、「独ソ戦」の核心は次の点にある。
「第2次世界大戦は、自国の民主主義を徹底的に破壊し、テロ独裁を打ち立て、ファシズムによる世界支配を公然と声明して侵略行動に乗り出したナチス・ドイツ、日本軍国主義、ムッソリーニ・イタリアの三国同盟に対する連合国との戦いという、帝国主義戦争として始まったが、イギリス・フランス・アメリカなどからなる反ファシズム連合にソビエトが参加することによって、この戦争全体の性格は反ファシズム解放戦争となった。そして激戦を極めた独ソ戦―特にスターリングラードの攻防戦―におけるソビエトの勝利は反ファシズム解放戦争たる第2次世界大戦全体の勝利を決定づけた。スターリンと社会主義ソビエトこそ、全世界をファシズム支配の惨禍から解放した最大の功労者である。」
私は、この著作を通じて、大木氏のその歴史観・独ソ戦争観が如何に間違ったものであるかを徹底的に明らかにしたい。そこに本書執筆の目的がある。
私がぜひともそうする必要があると考えた理由としては、大木氏のこの著書が「天下の岩波書店」の「岩波新書」として刊行されている、ということもある。そもそも「岩波新書」発刊の目的、意義とは何か。岩波書店は、2006年4月出版の新書の末尾に、「岩波新書新赤版一〇〇〇点に際して」と題して格調高い一文を掲げ、その決意を次のように明らかにしている。
「…岩波新書は、日中戦争下の一九二八年一一月に赤版として創刊された。創刊の辞は、道義の精神に則らない日本の行動を憂慮 し、批判的精神と良心的行動の欠如を戒めつつ、現代人の現代的教養を刊行の目的とする、と謳っている。以後、青版、黄版、 新赤版と装いを改めながら、合計五〇〇点余りを世に問うてきた。そして、いままた新赤版が一〇〇〇点を迎えたのを機に、人間の理性と良心への信頼を再確認し、それに裏打ちされた文化を培っていく決意を込めて、新しい装丁のもとに再出発したいと思う。一冊一冊から吹き出す新風が一人でも多くの読者の許に届くこと、そして希望ある時代への想像力を豊かにかき立てることを切に願う」と。
更に、大木氏はこの著書の「おわりに」で、この著書の刊行が岩波新書編集長永沼浩一氏の肝いり、粘り強い激励で完成に至ったことを、次のように記している。
「おわりに 日記をあらためてみると、岩波新書の永沼浩一編集長から最初の連絡をいただいたのは、二○一八年の五月二八日であった。折から休みで、某市の古書店に出かけていた筆者は、ラフな格好を気にしながら、その帰路に神保町の岩波書店に立ち寄ったことを覚えている。永沼氏が切り出した依頼は、意表をつくものであった。新書で独ソ戦の通史を書いてみないかと持ちかけられたのである。願ってもない話ではあった。…しかし、永沼氏の注文は、さらに続く。戦史・軍事史を主とするのはもちろんだが、それだけでは独ソ戦は理解できないはずである。ぜひ、ナチズム、ホロコーストとの関連や、政治外交史的側面や戦時経済のことも触れた通史として、独ソ戦に関心があって勉強したいと思っているひとが、最初に手に取るべき本にしてほしいというのだ。… 執筆に取りかかってみると、予想されたことではあるものの、困難は大きかった。 いくつかの節は、既発表の文章をもとにすることができたが、多くは、あらためて史資料を確認しつつの作業となったのである。それでも、本書の上梓にまでこぎつけられたのは、先学のさまざまな業績にみちびかれたこと、また、編集の任にあたられた永沼氏の根気強い慫慂と励ましのたまものにほかならない。ここにあらためて記し、永沼氏の尽力に感謝する。二〇一九年五月」と。
果たして、永沼編集長肝いりのこの大木氏の著作は、新書刊行の目的たる「道義の精神に則らない日本の行動を憂慮し、批判的精神と良心的行動の欠如を戒め」るものとなっているのか。「人間の理性と良心への信頼を再確認し、それに裏打ちされた文化を培っていく」ものとなっているのか。甚だ疑問である。それ故、ここに新たに「独ソ戦の真実」を明らかにする一書を上梓せんと決意した次第である。
最後に、本書でぜひ取り上げ、詳しく紹介したい「独ソ戦」に関する貴重な著作がある。それは、群像社刊『戦争は女の顔をしていない』(スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ著・三浦みどり訳 2008年7月発行)である。彼女は2015年ノーベル文学賞を受賞している。
【注:なお現在、この『戦争は女の顔をしていない』は残念ながら群像社からは出版されていない。群像社(設立者・島田進矢氏)の公式サイト発表によると、2015年10月に群像社は、アレクシェーヴィチさんのノーベル賞受賞を受け、注文が殺到したため、1000冊の増刷を予定していた。だが、著者の著作権を管理する代理人から「権利消失のため出版できない」と通告された、ということである。その後、岩波書店が翻訳権を獲得して、2016年に岩波現代文庫から刊行された。なお、群像社の厚意により岩波版でも三浦みどりさん(2012年12月死去)の翻訳文が使われている】
アレクシェーヴィチさんは1948年5月にウクライナ・ソビエト社会主義国に生まれた。彼女の母方のウクライナ人の祖父は独ソ戦争で戦死し、ハンガリーのどこかに葬られているという。ベラルーシ人の祖母、つまりアレクシェーヴィチさんの父親の母親はパルチザン活動に加わり、チフスで亡くなった。このパルチザンに加わった母親の3人の息子の内2人は戦争が始まったばかりの数ヶ月で行方不明になり、3人兄弟のうち一人だけが生きて戻って来た。それが彼女の父親である。彼女は、子供の時から、死のことことを考えないではいられなかった、という。彼女は、ベラルーシ大学でジャーナリズムを専攻し、卒業後にジャーナリストとなった。
三浦みどりさんは「訳者あとがき」で、この作品について、次のように語っている。
「アレクシェーヴィチさんのこの本は彼女の作家活動の出発点だ。取材を始めたのは一九七八年とあるが、戦争物は男が書くことになっていた時代に雑誌記者だった二十歳代のスヴェトラーナがそれまでまったく触れられたことのなかった従軍女性の記録を発表するのは相当の困難があり、完成後二年間は出版できなかった。当時既に作家としての権威があったベラルーシのドキュメンタリー作家アレーシ・アダモヴィッチ…の後押しがあっても一部の発表しか許されなかった。ソ連では第二次世界大戦で百万人を超える女性が従軍し、パルチザン部隊や非合法 の抵抗運動に参加していた女性たちもそれに劣らぬ働きをした。英雄としてでなく生身の人間としての彼女たちに初めて光をあてたこの作品を紹介して、アダモーヴィチは、こう書いた。『この本には勝利のために国民が払った犠牲が、従軍少女たち、娘や姉妹、母親 たちが流した血や涙が書かれている。この本ができるには登場人物たちの娘にあたるほどの年若い作家の誠実な努力があった。五百人を越える一人一人の聞き書きというこのスヴェトラーナの書き方は妥協を許さないものだが、他人の痛みに対して人間の心を塞いでいる邪魔物を突き破るにはこれが必要だった。この本は問違いなく大好評となるだろう。従軍した女性たち、パルチザンの女性たちから何千という手紙が送られてくるだろう。あと五年はこの本と切れることはできないだろうが、スヴェトラーナが他人の痛みを、現実の重みを、その心で受け止めて、耐え抜いてくれることを祈りたい』『戦争は女の顔をしていない。しかし、この戦争で我々の母親たちの顔ほど厳しく、すさまじく、また美しい顔として記憶された物はなかった』…」と。
まさに、ドキュメンタリー作家アダモヴィッチが書いているように、この作品の最大の特徴は『この戦争で我々の母親たちの顔ほど厳しく、すさまじく、また美しい顔として記憶された物はなかった』という点にある。この作品―独ソ戦争に従軍、参戦した女性たちの細部に亘る生々しい証言―は、まさに独ソ戦争の本質とは何であったのかを物語る貴重な資料であり、ここに書き記されている彼女たちの証言は紛れもなく「ダイヤモンドの原石」なのである。この原石は、磨いてこそ、宝石ダイヤモンドとして限りなく美しく光り輝くのである。
しかしながら、この作品には「負」の側面も記されている。これについて、三浦さんは「訳者あとがき」で次のような事実に触れている。
第1点は、『ソ連の従軍女性たちは十五歳から十歳で出征していった人たちで、他国のように看護婦や軍医というだけでなく、実際に人を殺す兵員でもあった。ところが戦争で男以上の苦しみを体験した彼女たちを、次の戦いが待ち受けていた。従軍手帳を隠し、支援を受けるに必要な戦傷の記録を捨てて、戦争経験をひた隠しにしなければならなかったのだ。「戦地に行って男の中で何をしてきたやら」と戦地経験のない女性たちからは侮辱され、男たちも軍隊での同僚だった女性たちを守らなかった。取材される女性たちもあの地獄を体験しなおしたくないと語りたがらない、取材を断ってきたひとも多い。元パルチザンの女性は、隊長が家族を見殺しにせざるを得なかったあと、不思議な死に方をしたことを語り、「死人は語れない、語ることができたら、わたしたちは生きていられないだろう」と黙り込む』との事実。
第2点は、『そういう(最初は何も語らなかった)女性たちが、戦友たちを紹介し、アレクシェーヴィチさんの取材は終わることがなく、二〇〇四年の最終稿ではペレストロイカ直後ではまだまだ語れなかったことが加わっている。新しく付け加わったのは、仲間を殺さなければならなかったときのこと、ソ連軍の男たちがドイツの女性に何をしたか、そして、戦争が終わるとただちに占領地で暮らしていた捕虜であったという経歴のせいで国賊扱いされ極北の地に流刑にされたことなど。「今は何でも話せる世の中になった。どうして戦争が始まる前に軍の幹部を抹殺したの? 我が国の国境はしっかり守られていると国民に請け合ったのは誰? 弾丸は最初から足りなかった。今はもう訊いてもいい。でも、やはり怖いから黙っている」。相変わらず恐怖の陰は残している』との事実、である。
いずれにせよ、『戦争は女の顔をしていない』の中で女性たちが語っている証言は、戦場の体験の「細部の事実」を隈なく描き出し、それによって「独ソ戦の真実」を語るものとなっている。
ただ、細部に亘る事実の積み重ねとしてのこの証言集を読む時、私達は特に次の点に留意しなければならない。
第1、すべての証言の根底に流れる共通の認識、即ち本質を全力を挙げて捉えること。そうすればこの悲痛に満ちた女性たちの証言の底に流れる通底音、それが「祖国防衛のために私たちは皆戦場に赴くことを切望した。そして独ソ戦の戦地・戦場に立ち、愛する祖国、社会主義ソビエトのために、命がけで戦ったことを人生最大の誇りにしている」であることが容易に分かるであろう。アダモヴィッチの評価『戦争は女の顔をしていない。しかし、この戦争で我々の母親たちの顔ほど厳しく、すさまじく、また美しい顔として記憶された物はなかった』はまったく正しい。
第2、ここに紹介されている証言・事実を深く理解せんとするなら、ロシア革命の歴史について、史上初めてのレーニン・スターリンによる社会主義建設40年の歴史について、或いはナチス・ドイツと社会主義ソビエトとの対戦史について、反ファシズム解放戦争としての第2次世界大戦について、ぜひとも哲学科学的認識を深めなければならない。俯瞰的観点(大局的観点)抜きには細部の真実も見通すことはできない。「木を見て森をみず」という格言がある。細部のみを見て全体・全局を見ないなら、その人は森の中で迷子になってしまい、目的地に到達することができない。作者も訳者も「戦争前に軍の幹部を粛清し、軍の力を弱めるようなことをなぜ行ったのか?」というような疑問を提起しているが、こうした問題は、フルシチョフによる「スターリン批判」の影響的産物でもあり、哲学科学的認識抜きには絶対に解明できない問題である。
第3、どんな問題もその時代状況と力関係の産物であり、歴史の発展段階と発展水準、力関係の水準を超えた問題解決はありえない。このことを踏まえて事実を観察し、評価しなければならない。戦後、従軍女性たちは戦場の体験を誇り、語ることを許されず、「女のくせに…」「女だてらに…」と陰口され、沈黙を強制された。戦地では身を以て庇ってくれた男たちも、普通の生活に戻るや、一般の男に逆戻りし、女性たちを置き去りにしてしまった。まさに「男社会」そのものである。しかし、それが当時の社会主義ソビエトの歴史的発展水準であった。土台における階級制度が改善されても、自動的に直ぐに上部構造の様々な思想認識・社会的意識が変化、改善されるわけではない。マルクスやエンゲルス、レーニンが語っているように、何千年も続いた階級社会が生み、育てて来た旧い思想認識・社会認識が克服されるには長い長い時間と経験を要するのである。
以上である。
大木氏は『独ソ戦』の「文献解題」の中で、アレクシェーヴィチさんのこの著作に触れており、どうやら執筆前に読んでいるようだ。後で詳しく触れるが、大木氏は先に提起した3つの観点について、特に「祖国たる社会主義ソビエト」について、まったく理解していない、否、理解でき得ないでいる。これでは「独ソ戦の真実」を語ることはできない。