人民文学サイト

(小林尹夫-哲学ルーム)

2018-01-01から1年間の記事一覧

『君たちは―』(第12回) 1966年当時の時代状況―ベトナム戦争

『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)-私の読書体験ノート では、ベトナム戦争とはいったい何であったのか。 第2次世界大戦後、ホー・チミンを党首とするベトナム労働党(社会主義・共産主義思想の党)に率いられたベトナム人民はベトナム民主共和国(北…

『君たちは―』(第11回)1966年当時の時代状況―水俣病公害事件

『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)-私の読書体験ノート 1966年当時の学生を取り巻く状況で最も特徴的な事件・出来事、それは一つは水俣病・イタイイタイ病・光化学スモッグ(大気汚染)等の公害問題であり、もう一つはベトナム戦争であった。第2次世界…

『君たちは―』(第10回) 第1次早大闘争の意義

『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)-私の読書体験ノート 当時、私たちのクラス―明確に党派に属しているものは誰もおらず、いわゆる「ノンポリ」「ノンセクト・ラジカル」の集まりだった―は、この闘争の本質・意義―闘争の正当性・正義性―をどのように捉…

『君たちは―』(第9回) 重大な失敗の経験から学ぶ

『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)-私の読書体験ノート 明らかに「署名活動」は、バリスト派の立場から見れば、誤りであった。それは真剣な論議の場を生み出すものとはならず、ただ単にバリスト解除派を勢いづかせただけであった。署名に集まって来た…

『君たちは―』(第8回) 第1次早大闘争・全共闘運動と遭遇

『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)-私の読書体験ノート 冬休みを終えて東京へ帰り、登校した1966年1月初め、大学のキャンパスはすでに闘争モードに突入していて、スト決行―学園封鎖―に向けて各学部の共闘会議の内部で急速に準備が進められていた。と…

『君たちは―』(第7回) 放浪と彷徨の学生生活

『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)-私の読書体験ノート 大学1年の夏休み、私は信州に帰り、高校時代の友人の紹介で、ほぼ1ヶ月半に亘って、北アルプス山中・上高地小梨平のテントキーパー(梓川村が経営していた宿泊用大テントの管理者)のアルバイト…

『君たちは―』(第6回) 1960年代の大学・東京・日本

『[君たちはどう生きるか]』(吉野源三郎)-私の読書体験ノート 私は、中学高校時代を通じて、主として『路傍の石』『君たちはどう生きるか』から、次に『岩波茂雄伝』から実に多くの影響を受けた。その根底には、常に「如何に生きるべきか」という哲学的テ…

『君たちは―』(第5回) 信州教育と哲学的伝統

『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)-私の読書体験ノート ところで、この「哲学を学べ!」というメッセージは、決して手塚先生や藤沢先生個人のものではなく、信州教育が持つその哲学的伝統の中から生まれたものであった。 手塚先生は、信濃教育会(小・…

『君たちは―』(第4回) 「哲学を学べ!」のメッセージ

『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)-私の読書体験ノート 私が吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』を読んだのは、『路傍の石』を読んだ時期と重なる。というのも、同じ頃、手塚先生は『いずみ文庫』(学級文庫)にこの書と、もう一冊『岩波茂雄伝』(…

『君たちは―』(第3回) 私と有三・源三郎との出会い

『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)-私の読書体験ノート 私が、中高生時代に、山本有三とその作品『路傍の石』、吉野源三郎とその作品『君たちはどう生きるか』と巡り合った経緯は、次のようなものである。 1959年(昭和34年)7月、私が信州松本在にあ…

『君たちは―』(第2回) 現代の青年読者の感想

『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)-私の読書体験ノート 吉野源三郎は、1925年(大正14年)に東京帝国大学文学部哲学科を卒業し、陸軍に入隊するも、2年後に除隊、東京大学図書館に就職。次第に政治に関心を持つようになり、軍国主義への不信感から社会…

『君たちは―』(第1回)  作品・著者との再会

『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)-私の読書体験ノート(5の日に更新) 2017年8月、マガジンハウス社から漫画版『君たちはどう生きるか』(作・羽賀翔一)が発行されると、わずか3ヶ月あまりで100万部に迫る売れ行きを見せた。あらためて言うまでもな…

『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)-私の読書体験ノート [5の付く日に更新]