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(小林尹夫-哲学ルーム)

『君たちは―』(第1回)  作品・著者との再会

君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)-私の読書体験ノート(5の日に更新)


 2017年8月、マガジンハウス社から漫画版『君たちはどう生きるか』(作・羽賀翔一)が発行されると、わずか3ヶ月あまりで100万部に迫る売れ行きを見せた。あらためて言うまでもなく、この『君たちはどう生きるか』の原作者は吉野源三郎(1899年〜1981年)であり、戦前の1937年(昭和12年)に新潮社の「日本少国民文庫」の最終巻として出版され、戦後は、新潮社・ポプラ社岩波書店から相次いで出版された。岩波文庫版(1982年刊)は今日に至るまでに127万部のロングセラーとなっている。
私は、こうしたニュースに接し、昔―中学・高校生の頃―この書を読んだことを思い出し、青少年向きの哲学的人生論が再び読まれ始めたことに意を強くし、時代の確かな変化・進展に大いに勇気づけられた。
だが、2018年5月17日付朝日新聞に掲載された、河井健記者の『大ベストセラーの「君たちはどう生きるか」〜名著の陰 もう一人の著者〜1937年版 共著「山本有三」』と題する報道に接した時、突然、鮮明に、50年前の中高生時代の幾つかの出来事を思い出した。

 私が『君たちはどう生きるか』を読むようになったきっかけ、それはある偶然によって生まれた山本有三・その作品『路傍の石』との巡り合いにあった。
 山本有三―『路傍の石』の作者として著名なこの作家は、中高生時代の私にとって特別な存在であった。その山本有三吉野源三郎とが思想的に深い師弟関係にあったことを、私は、今日までまったく知らなかった。それ故に、5月17日付朝日新聞の報道にびっくりさせられたのである。河井記者はその記事で次のように述べている。
『200万部を超える大ベストセラーになった漫画「君たちはどう生きるか」(マガジンハウス刊)。同書には原作者として「吉野源三郎」と記されているが、最初に出版された1937年の書籍には共著者として「山本有三」の名前が記されていた。「君たちはどう生きるか」はもともと、劇作家・小説家の山本有三 (1887〜1974)が35〜37年に編纂した子ども向け教養書シリーズ「日本少国民文庫」(全16巻、新潮社刊)の一冊として出版された。編集を手がけた一人が、児童文学者や編集者として活躍した吉野源三郎 (1899〜1981)だった。
 満州事変が勃発した31年、吉野は治安維持法違反の疑いで検挙され、1年半投獄される。 以前から親交のあった有三は吉野の身元引受人になり、失業していた吉野を「文庫」の編集主任に抜擢。さらに、当初は有三が手がける予定だった「君たちはどう生きるか」の執筆も吉野に任せた。「有三は重い目の病気にかかっていた。それで才能を評価していた吉野に任せたようです」と山本有三記念館(三鷹市)の学芸員、三浦穂高さん(32)。有三との共著として出版された理由について、三浦さんは「もともと有三が書く予定だったことや、有三がすでに著名な作家で、文庫の看板だったことがあるのでは」と推測する。吉野の単著とされたのは戦後になってからだという。…吉野は「文庫」の仕事が評価され、その後、岩波書店に入社。戦後は雑誌「世界」の編集長などを歴任し、リベラルな言論人としても活躍した。「路傍の石」などで知られる有三の作品にも人道主義的な理想主義が色濃くにじむ。三浦さんは「有三のもとで働いた経験が吉野に息づいている。『君たちはどう生きるか』にも有三の精神が反映されていると思います」。2人の親交は続き、吉野は62年、有三に宛てた手紙で、「今日までやってまいりましたのは、すべて二十五年前の先生の並ならぬ御厚情に発することでございます」と書いている』と。
路傍の石』と『君たちはどう生きるか』を読んでいた中高生の頃―否、つい最近まで、私は二人がこのようにも深い友情と強い絆で結ばれていたことをまったく知らなかった。