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(小林尹夫-哲学ルーム)

『君たちは―』(第2回) 現代の青年読者の感想

君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)-私の読書体験ノート

 吉野源三郎は、1925年(大正14年)に東京帝国大学文学部哲学科を卒業し、陸軍に入隊するも、2年後に除隊、東京大学図書館に就職。次第に政治に関心を持つようになり、軍国主義への不信感から社会主義系の団体の事務所に出入りするように。そのため、1931年(昭和6年)に治安維持法事件で逮捕され、1年半の獄中生活を強いられる。出獄後の1935年(昭和10年)、作家・山本有三から「日本少国民文庫」編集主任を任され、この時『君たちはどう生きるか』を執筆・刊行した。その後、吉野は岩波書店に入社し、戦後は、1946年(昭和21年)に雑誌『世界』を創刊し、初代編集長に就任、反戦・平和の論陣を張り、日本思想界に大きな影響を与えた。
 2017年12月6日付朝日新聞は、『「君たちはどう生きるか」80年経て大ヒット』と題し、社会面ニュースでこれを取り上げ、このブームの背景を次のように論じている。
大阪府泉大津市の会社員陽(みなみ)泰志さん(30)はツイッタ―で話題になっていたのを知り、近くのコンビニで買った。旧制中学に通う「コペル君」というあだ名の15歳の少年が主人公。学校でのいじめや同級生の貧困にどう対応すべきか。「叔父さん」との対話を通じてコペル君が考え、成長していく物語だ。小学生と幼稚園児の子供がいる陽さんは、子供たちの力にされているだろうか、と悩む自分の姿を重ね合わせながら、一気に読んだ。「つらい体験からこそ学べることがあるのだと、子供たちに教えてあげたくなった。彼女たちが将来迷った時にこの本を差し出してあげたい」』
『マガジンハウスの担当編集者・鉄尾周一さん(58)は原作を愛読していた。だが、「若い人には説教くさいだろう」と思っていた。だが、20、30代の同僚たちに話を向けると、彼らは既に読んでいて「すごくいい作品ですね」と返してきた。鉄尾さんは『もっと読んでもらえる作品なのかもしれない』と考え始めた。難しさを和らげるために漫画化を選択。担当した漫画家の羽賀翔一さんは』…2年かけて完成させた。…マガジンハウスは、ヒットの理由を「題名に代表されるシンプルで普遍的なメッセージが幅広く受け入れられた」とみる』
『80年前の作品が輝きを放つ理由について、吉野をテーマにした研究論文の佐藤卓巳・京都大教授(メディア史)は、この本の吉野の主張を、「主体として能動的に生きていくことの重要さだ」と説明。「『ポスト真実』という言葉が流行したように、情勢判断の難しさに不安を感じている人は多い。一人ひとりが高所から全体状況を見極める能力を求められており、その視点の重要さを説くメッセージが共感を得ているのだろう」と話す』と。
[註:「ポスト真実」とは、オックスフォード辞典が2016年に「時代を最もよく表す言葉」として選んだ言葉で、客観的事実より、個人的信条・感情的な訴えの方が世論形成に大きく影響する状況を意味する]
 こうした見解は、この作品を読んだ多くの人々、特に20代〜40代の青年たちが、そのブログ等で発表している読後感想に共通した見解でもある。
 2017年12月6日付朝日新聞が紹介している大阪府泉大津市の会社員陽(みなみ)泰志さん(30)がブログに載せた感想をもう少し詳しく見てみよう。氏は、次のように述べている。
●ひとは、なぜ考えるのだろう。ひとは、なぜ学ばなければいけないのだろう。ひとは、なぜ目には見えない心を傷つけ痛みを感じてしまうのだろう。それは、私たちが他の動物とは違う、人としての証で、人として成長し、生きていかなければならないからなのだ。今回は吉野源三郎さん原作の著書、君たちはどう生きるのかを読みました!この本を手に取ったキッカケはホリエモンこと、堀江貴文さん(注:現代の青年たちに影響力を持っている青年実業家)がツイッターで名作だとおっしゃっていたから!…
「君たちはどう生きるのか」はどんな本?…コペル君と呼ばれるようになった主人公の中学生にそのあだ名の名付け親であるコペル君の叔父さんが、人間とはどう生きるべきなのかをコペル君に教え、考えさせるという哲学的・心理的な話が主な内容の本だ。コペル君が友達を裏切ってしまい、それに対しどう行動していけばいいのか、ということがストーリー調で描かれている。…原作は80年も前に書かれたものらしい!だからといって色褪せた感は全くない。むしろ、情報が多い今の時代だからこそ、気付きにくい一面を教えてもらえたとぼくは感じている。情報を一時的に遮断し、立ち止まる。そして、自分と向き合い物事を1つ1つ分解し、根元となるところまで掘り下げ、考えてみる。それがどれだけ人として生きるために重要なことなのか。そんなことを教えてくれるのが本書?君たちはどう生きるか″です。…自分の裏切りやミスが原因で人間関係に大きな悩みを抱えている。自分を責めてしまうことがよくある。物事を深く考える習慣がない。一歩踏み出す勇気がない。とまあ、こんな感じのひとには特にオススメできる本だ!… 
本書を読み、ぼくが最も響いたのが次のコトバだ。[心に感じる苦しみやつらさは人間が人間として正常な状態にいないことから生じて、そのことを僕たちに知らせてくれるものだ。そして僕たちは、その苦痛のおかげで、人間が本来どういうものであるべきかということを、しっかりと心に捕えることができる](著書「君たちはどう生きるか」より抜粋)。悪いことをしたのなら素直に謝る。
同じことは二度としないと誓いを立てる。自分が苦しみや辛さを感じたときは、そこから学ばなければいけない何かが必ずあるのだ。…他にも引用したい素晴らしいところはたくさんあって、もっと誰かと共感しあいたいところなのですが、それは本書を手に取り、あなた自信が体感してほしい。きっと、あなたの心にも響くコトバがたくさんあるはずだから。(みなみ)
 みなみ氏だけでなく、20代〜40代の多くの読者が、この作品の読後感想をブログに綴っている。その幾つかをここに紹介しよう。
●常に自分の体験から出発して、正直に考えていく。 自分の人間としての値打ちに本当の自信をもっている人だったら、どんな境遇でも落ち着いて生きていける。 生産する人と消費する人。生み出す働きこそ、人間を人間らしくしてくれる。「いつでも自分が本当に感じたことや、真実心を動かされたことから出発して、その意味を考えていくこと」。これは自分がこれから何をしたいのかを考えるときに、大切なことだと思う。そして実行力・活動力・素晴らしい精神力を駆使して、何かを成し遂げていきたい。そうすれば、一方的に消費する人ではなく、生み出していける人になる。「何かを成し遂げる=何かを生み出す」かな。(おじさんノートの備忘録)
●これってもとは歴史的名著だったんですね。実はこの本、僕は昔から知っていました。中学生か高校生くらいの頃、家の納戸の中で見つけたのが最初でした。岩波文庫のあれですね。僕の母親はスパルタだったので、この本に対して少し違和感を感じました。…要するに基本的には勉強を頑張って良い大学に入るのを基本路線としているような考え方の人だったからでした。なので、君たちはどう生きるかなんて考えて良いの?もしかして勉強しなくて良いのか!?てかこれ、誰のために買った本?という感じでした。とまあ最初の出会いはそんな感じだったんですが、ちょっとめくってみるとこれまた難解でした。てか文字小せえなと。あと今では知的に見える岩波文庫の独特の佇まいも当時の僕にとっては地味すぎて読み進める気もなくなり諦めました。
 そうして月日は流れ、ご存知の通り、最近の書店に並んでおります。漫画化されたそれがずらりと並んでおりました。で、その隣に、例のあの岩波文庫のも置いてありました。名著だ!というのが最初の感想でした。さすがは教育ママ。良い本だったんですねといったところですかね。過去に岩波文庫の原著で挫折というか読まなかったのはすべてここでの再会につながっていたのです。… さて、前置きが大変長くなりました。ここからが感想になります。
 この漫画(原著にどこまで沿っているのかは不明ですが)、主人公であるところの中学生の通称コペル君がさまざまな出来事(それはほとんど心を痛めるような出来事なのですが)を経験し、それを通して立派な人間になるために色々なことを学んでいくストーリーになっています。全体を通しての感想は、まず、出来事ごとの漫画、また、そのあとに書かれている文章のバランスが非常に良いと感じました。また、主人公が中学生であることから、なるたけ平易な文章で、また語りかけるような文章のため、読みやすいです。内容に関して言えば、コペル君が経験する出来事の中で、仲間を裏切ったことに対する罪悪感に苛まれているシーンがあるのですが、個人的にはここがハイライトでした。僕はもう20代後半でして、やっぱり多くの失敗や後悔を経験してきましたからね。さて、罪悪感に苛まれるコペル君、それに対しておじさんはどんな言葉をかけるのか。本を読んでいく中で、この場面が一番気になりました。おじさんはコペル君に言ったことはざっくり以下の三つ。○済んだことは後悔しても変えられない○変えられないことを考えるのをやめて今やるべきことに集中する○二度と同じ過ちを繰り返さない。そうして、そのシーンのあとに書かれている文章の中で、罪悪感を感じるのは正しい選択を選ぶことができたから、すなわち正しい選択を知っているから、という話になります。それは、自分が人間として正しくありたいと思っているからなのだと。これは救われるような言葉ですよね。多くの失敗や後悔、それらはそもそも自分が正しい道を歩もうとしているからこそ生まれる感情なんですね。とまあ、こんな感じですね。他にもナポレオンの話とかも書いてあって、僕はナポレオンに関する知識がなかったので面白かったです。ナポレオンにも興味を持ちました。さて、最後に、僕はどう生きるかということですが…全然時間足りねぇわ。選択と集中がテーマの現在、僕はどう選ぶか。(えのき日和)
●素晴らしい本です。今年小学生になる息子にも、分かるときが来たら読ませたいです。40歳を過ぎ心身両面で辛いことが続きました。この本を読んで、久しぶりに爽快な気分になれ、悩んでいたことにどう向き合っていったら善いか、府に落ちた感覚になりました。(X)
●若い人向けではあるが、人は自分中心に物事を考えている、というところに関してはどの世代にもあるよね。「いつでも自分が本当に感じたことや、真実心を動かされたことから出発して、その意味を考えていくこと」。これは自分がこれから何をしたいのかを考えるときに、大切なことだと思う。そして実行力・活動力・素晴らしい精神力を駆使して、何かを成し遂げていきたい。そうすれば、一方的に消費する人ではなく、生み出していける人になる。「何かを成し遂げる=何かを生み出す」かな。(匿名希望)
●「君たちはどう生きるか」を読んで「昔」の自分と「今」の自分を比べる事が出来た。漫画版が累計120万部突破し日本全国で話題となっている「君たちはどう生きるか」。実は小説版は学生時代に読書感想文として書いた事があり、内容はだいたい知っていたのですが、漫画版を購入する際に再び小説版も買ってみることにしました。この作品の主人公である本田潤一くん事「コペルくん」は学業優秀でスポーツも決して悪くはない。ある程度の人望もありマジメな生徒といえるでしょう。そんなコペル君と叔父さんがコペル君に書いたノートで「ものの見方」「構造」「関係性」など様々なテーマを題材とした解答をコペル君に教えてあげるのです。コペル君自体は学業優秀という事もあり、叔父さんの話を理解し「人」として成長していく姿が今作の面白いポイントでもありますが、コペル君に影響され叔父さんも変わっていきます。この作品の最後として読者に「君たちは、どう生きるか」と訪ねて終わるのですが、学生時代に感じなかった事をブログで書いてみたいと思います。
《大人になるにつれて解らなくなる”地動説”という話》
 地動説と言えば小学生の理科の時間で習うほど、知らない人はいない言葉だと思います。今回の「君たちはどう生きるか」でも例に出される地動説なのですが、簡単に書くと宇宙の中心は対応であり、地球は他の惑星と共に太陽の周りを自転しながら公転している。この事を16世紀に入りコペルニクスが唱えた。
 この本では「地動説」を例に出しているが私が自分で言う事ではないですが、出来た人間とは言いにくい。仕事でも怒ってしまう時は、怒ってしまい後で反省する事もあるが、叔父さんのノートには「地動説のように中心に考えないで、考えられる人間はごく”まれ”なんだ」と書いてあるが、実際にはその通りだと思う。特に自分自身が大変な時に他人の事を心配出来る人間は何人いるだろうか。それをお人よしと見るか、また善人と見るか。自分を中心に考えて行動するまるで”天動説”のような人は大人になれば駄目だと解っていても、大人になればなる程難しくなっていくように感じた。もし仮に「誰かがピンチの時にそれを助けられるか」という議題をした際に多くの人は「助ける」と答えると思う。しかし私は「解らない」と答えるでしょう。大人になるにつれて様々な事が脳裏に過るからだ。コペルくんのお母さんが昔「神社の階段を登っているお婆さんの荷物を持つ際に声をかけれなかった事を後悔している」と話しています。それと同じで「お婆さんが断ってきたらどうしよう」「荷物を持つことが迷惑になるかも知れない」「お節介かも知れない」など考えてしまうからでしょう。大人になるという事は考えられるようになるが、それが逆に邪魔をしてしまう時もある。そんな事を考えさせられました。
《雪合戦のシーンはこのストーリーで最も読んで欲しい場面》
 コペル君たちが雪合戦していると北見君たちが上級生に絡まれ、殴れている時にコペルくんは助ける事が出来ず、2週間近く悩み学校に行けない。というシーンがあります。もしかすると読んでいる人の中にはコペル君と同じ経験をした事があるのではないでしょうか。上級生では無いですが、友人が虐められていたりした時に「あの時声を出していれば」という気持ちになった事は無いでしょうか。コペル君が悩み叔父さんに「どうすれば良いのか」と悩みを打ち明けると「許すかどうかは北見くんたちが決める事であり、許して貰いたいと手紙を書くのは間違っている。しかし自分の偽りのない言葉を伝える事は大事だ」とこのセリフは好きなワンシーンでもあります。コペル君の手紙を読んだ北見くんたちは手紙の返事を出さず、コペル君が学校に来た際に「言葉」で伝えようとガッチンが言い出し「文章が苦手だから言葉で伝える」という言葉も好きなワンシーンです。
 この本が初めて出版されたのは1937年の「日本小国民文庫」から出版されました。小国民というのは当時の「小学生」なのですが初めてこの本が出版されてから81年もの歳月が経っているにも関わらず「人間」という根本的な中身は変わらないという事がよく解ります。時代が進み、技術が発達しSNSなどの文化が主流となっている現在だからこそ、人間関係がややこしく一歩前に出たくても、出られない世の中になっているのではないでしょうか。
《 もし「自分」ならどう考えるか》
 仮にもし私が「君は、どう生きるのか」と問われた時に「自分の意見をしっかり持つ」といいます。これは今回、この本を読んだからという訳ではありませんが、こういった時代だからこそ周りに流されないで自分の意見をしっかり持つ事が重要だと感じているからです。…「自分の意見をしっかり持つ」という事は賛同や批判の際にも非常に大事だと感じます。
 コペル君が出した答えというのは中学生らしい考え方なのですが、それはコペル君が周りの人に恵まれていたという点が非常に大きい。仮にコペル君の考えを否定する人物が大勢いたのであればコペル君の純粋さは消えていたかも知れない。…ただこの本を読んで「こういった考え方があるのか」と一つでも思ったのであれば今後何かあった際に大きな経験になると思います。大人だから遅いという事はなく、大人だからこそ気づかなくてはいけない考え方もあるという事です。
《「大人」だからこそ読んで欲しいと思える1冊》
 この本が売れている大きな理由は何か。私なりに考えてみました。きっとこの本を求めている人は「答え」を知りたいのかも知れません。何が正解で、何が不正解なのか。学業では「正解」「不正解」と必ず答えがありますが、社会に出ると、どちらが正解なのかが解らなくなってくる時があります。これは年を重ねるごとに解らなくなっていく。しかし「答え」を知りたくても教えてくれる人が少なく、相談も出来ない。そんな大人への「近道」と思って読んでみると良いかも知れません。「自分で選択し、決定する事の大事さ」をコペル君は最後に実感しています。その後に序盤でも書きましたが「君たちは、どう生きるか」と終わっています。この最後の答えは人によって違います。答えは無いのですが、答えの近道としてこの本を私はオススメしたいと思います。(ダンボー
●「君たちはどう生きるか」→オススメ本!自分の意識できていなかった感情に出会える本だ。 (注:[]内は『君たちはどう生きるか』よりの引用)
《本当の君の思想》
[いつでも自分が本当に感じたことや、真実心を動かされたことから出発して、その意味を考えてゆくことだと思う。君が何かしみじみと感じたり、心の底から思ったりしたことを、少しもゴマ化してはいけない。そうして、どういう場合に、どういう事について、どんな感じを受けたか、それをよく考えてみるのだ。そうすると、ある時、ある所で、君がある感動を受けたという、くりかえすことのない一度の経験の中に、その時だけにとどまらない意味のあることがわかってくる。それが本当の君の思想というものだ。・常に自分の体験から出発して正直に考えてゆけ]
 ホリエモンの本を読んでから、「思考停止」という言葉をぼくはよく考える。いかに自分を含めて、多くの人がいろんなことに対して、「思考停止」しているのかと、それに気がついた時に恐ろしくなった。「常識」「恒例」「今までと同じようにやる」「そういう決まりになっている」という言葉によって、ぼくたちは考えることを放棄してしまうことがある。こわいのは、放棄してしまっていることにすら気がついていないことだ。 どうしても、親や先生や上司、もしくはセミナーや本から学ぶことを「学ぶ」ことの全てだと思いがち。それらも、もちろん大切なのだけれども、一番の学びは、自分の体験から得るものだ。自分が体験したことを「考え」「感じる」ことに、一番の学びがある。ここで、ポイントのひとつが、「自分」をたいせつにしていないと、自分が「考え」「感じた」ことに対して価値を見出せなかったり、「私が考えたことなんて……」ってせっかく感じたことを低くとらえてしまい、せっかく自分が「考え」「感じた」ことをおろそかにしてしまう。それは実にもったいない。まずは「自分のことをたいせつにしよう」って思うこころを、ぼくはたいせつにしたい。
《「立派そうに見える人」と「立派な人」の違い》
[僕やお母さんが君に立派な人になってもらいたいと望み、君もそうなりたいと考えながら、君はただ「立派そうに見える人」になるばかりで、ほんとうに「立派な人」にはなれないでしまうだろう 世間には、他人の目に立派に見えるように、見えるようにと振る舞っている人が、ずいぶんある。そういう人は、自分がひとの目にどう映るかということを一番気にするようになって、本当の自分、ありのままの自分がどんなものかということを、つい、お留守にしてしまうものだ。僕は、君にそんな人になってもらいたくないと思う]
ぼくのまわりには、「他人の目に立派に見えるように見えるようにと、フルまっている人がずいぶんある」という人が多く、最近やたらと気になってしまう。気になるってことは、自分の中にその考えがあるってことに思う。他人からどう思われるかではなく、本当のじぶんと向き合いたい。今はその気持ちがすごく強い。それだけに他人の価値観の中で生きている人を見るとぼくが苦しくなってしまう。
《人間だけが感じる人間らしい苦痛》
[人間だけが感じる人間らしい苦痛とは自分が取りかえしのつかない過ちを犯してしまったという意識だ。自分の行動をふりかえってみて、損得からではなく、道義の心から、「しまった」と考えるほどつらいことは、おそらくほかにはないだろうと思う]
 この本にも書いてあるが、過ちを「過ち」と認めることが難しい。他責にするクセがついていると、何をやっても「いいわけ」をつくって、他人のせいにしてしまう。その結果、成長しない。過ちを「過ち」と認めることができる自分でありたい。
《書評まとめ「マンガ 君たちはどう生きるか」》
 自分が経験したことが文章にされていたような感じの本だった。もちろん、ぼくはそれを言語化・意識化できていたわけではないし、真っ正面から受け止めることができていなかったので、この物語を読んで、そのときの感情を思い出すことができた。人間くさい・泥臭いところが、この本にはある。ぼくの最近の考えていることや課題にぴったりな一冊だったので、こころに刺さった本だ。(金釘)
●漫画版『君たちはどう生きるか』の感想。大人も学ぶことが多い名作です。
 私はどう生きるか。おじさんのノートに、以下のような一節があります。[くりかえすことのないただ一度の経験の中に、その時だけにとどまらない意味のあることがわかってくる] コペル君の体験したような苦しい経験やすばらしい経験は、ともすればそのときだけのものになってしまいます。ですが、そうしたそれぞれの出来事を下敷きに真剣に考えることで、 困難に立ち向かうための力が蓄えられていくということなのではないでしょうか。ひとつひとつの経験から何を学んで生きていくか。 経験を増やし、よく考えていくことがより良い生き方につながっていくのだと思います。
 物語の最後で、コペル君はおじさんへの返答としてどういう考えで生きていくのかを自身のノートにまとめ、 作者が「君たちは、どう生きるか」と問いかけて終わります。いくつになっても学ぶことがある……姿勢を正されたような気持になりました。(ちゃみ)
●小説版『君たちはどう生きるか』を読んだ感想!こんにちは!金沢で学生をしています。…ここでは、コペル君のクラスでいじめが起きます。クラスメートがクラスメートをいじめているのを見たら、あなたはどうしますか?常に自分の体験から出発して正直に考えてゆけ、ということなんだが、このことは、コペル君!本当に大切なことなんだよ。どんなにたくさん本を読んだり、話を聴いたりしても、それは扉を発見するに過ぎないのです。その扉を開く鍵は、自分自身の経験や行動です。だから、僕自身もこの本を読んだだけではあまり意味がないのです。 本を読んで、そして生活に活かす。そうして初めて本の真価が発揮されます。もちろん、他人の意見を取り入れるのは大切なことですが、しかし、「ある体験を通して自分はどう思ったのか」を考えることが非常に大切なんです。それこそが、正直である、ということになるのだと思います。(あまね)

 以上から明らかなように、現代の青年たちがこの書から学んでいること、或いはこの書が現代の青年たちに読まれている理由、それは、現代と言う時代そのものが、人々に、「あらゆる先入観を捨て、現実の自らの体験を大切にし、自らの体験をしっかりと見つめ、自分に正直になり、真剣に、根本的に、哲学的に自らの生き方を考え、決定し、実践し、行動に移していかねばならない」と訴えている、ということに尽きよう。
 佐藤卓巳・京都大教授(メディア史)の、「『ポスト真実』という言葉が流行したように、情勢判断の難しさに不安を感じている人は多い。一人ひとりが高所から全体状況を見極める能力を求められており、その視点の重要さを説くメッセージが共感を得ているのだろう」との指摘は核心を衝いている。
 現代という時代は、今大きな転換の時を迎えている。いずれ激動は避けられない。その中で、歴史は人々に「君たちはどう生きるのか」と正面から問いかける。私たちは、その問いに、自らの体験を踏まえ、自らの体験を大局的かつ哲学的に深く掘り下げ、真剣に応えねばならない。今や、多くの青年がそう決意しているように思われる。