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(小林尹夫-哲学ルーム)

アメリカ発世界恐慌(1929年大恐慌)とソビエト社会主義(1928年第1次・1933年第2次計画経済) (第9回)

 

 前回(第8回)、「猫も杓子も株式ブームに吸い込まれていった」と書いたが、この問題について若干補足しておきたい。

 ガルブレイスは、一般の人々が「猫も杓子も」市場に対する関心を強く抱いていた、というのはいくらか誇張されているきらいがある、とし、次のように述べている。

 1929年には誰もが「株に手を出していた」とよく言われているが、これは事実にほど遠い。当時は、いやいまもだが、労働者や農民や事務員の大半にとって、つまりはアメリカ人の大半 にとって、株式市場は手の届かないところにある薄気味悪い場所だった。それに、どうやって株を買うのか知っている人はそう多くはなく、まして信用買いをするなどという行為は、モンテカルロのカジノで賭けるのと同じぐらい無縁のことだったのである。後年、上院のある委員会が証券市場について調査し、1929年に株投機に関与した人の数を突き止めようとしたことがある。当時アメリカには29の取引所があり、会員証券会社は顧客数を記録しているが、それによると1548707人だという(その約9割に当たる1371920人はニューヨーク証取会員の顧客)。つまり当時13000万あったアメリカの全人口 のうち、さかんに株取引をしていたのは 150万人強に過ぎない。しかも、全員が投機をしていたわけではない。証券会社が委員会に 提出した数字によれば、信用取引をしていたのは60万人程度だというから、残り95万人は現金取引だったということになる。…全体としてみれば、1929年のピーク時にさかんに投機をしていた人の数は100万人以下であり、おそらくは100万を大きく下回っていたと言ってまちがいあるまい。28年末から29年7月末にかけて、アメリカ人は株式市場に押し寄せたとされているが、信用取引をする顧客の数は、国内の取引所全部を合わせても1年間に5万人強ほど増えたに過ぎない、と。

 ただ、次のことは指摘しておかねばならない。確かに一般庶民で「株式投機」に走るものは決して多くはなかった。しかし、銀行・保険会社によって集められた一般庶民の貯金や様々な保険金は、「高配当」「高利子」を謳う銀行や保険会社を通じて株式市場に投下され、株式ブームに注ぎこまれていった。

 さて、第7回の冒頭に次のように記した。

『第1次大戦後、しばらくは、アメリカは未曾有の好景気「黄金時代」に酔いしれることができた。しかし、ヨーロッパの戦後復興が始まり、特にヨーロッパでも農業生産が再開され始めると、まずアメリカ農産物の輸出が減り、農産物価格が低落し、農民の収入は激減し、農民の生活困窮が始まった。工業部門は、競争力の強い自動車産業は好調を維持していたが、石炭・紡績部門は不振に陥っていた。当然のことながら、戦争特需が終えた結果、農業部門だけでなく、工業部門の実態経済は、確実に「過剰生産」になっていたのである。

 しかし、アメリカ国民も、経済界も、クーリッジ大統領(在任は1923~29)と政府も、こうした実態経済にまったく目を向けていなかった。それは、当面、株式市場は右肩上がり状態の中にあり、世論の勢いや雰囲気は「黄金時代」の夢の中にあり、酔いから覚めることなく、人々は「合衆国は買いだ!」と信じ続けていたからである』と。

 確かに、1929年10月24日、ニューヨーク株式市場で大暴落が始まり、世界恐慌が始まった。もっとも、イギリスではその半年前から株価が下がり始めていた。しかしながら、1929年10月24日を境に一気にアメリカ経済、世界経済が崩壊していったわけではない。アメリカ、ヨーロッパの各国、世界各国の株価は乱高下を繰り返しつつ下がり続け、1932~3年頃になってようやく底に達した(アメリカ市場の株価は1929年最高時の6分の1になった)。

 1929年当時の最大の問題は、株を売っても、もはやその投資先がどこにもなかったことである。アメリカ、ヨーロッパ、世界(ソビエトロシアを除いて!)の実態経済は完全に行き詰まり、過剰生産に陥っており、一方、人民大衆には生産物を消費するだけの賃金・生活費がなかった。株式の暴落によって、金融機関の破綻が始まり、貯金は0になり、ますます手元資金が無くなる。モノが売れなくなる。労働者の解雇が始まり、会社の倒産が始まり、失業者が一気に増え、ますます消費は低下していく。悪循環である。

 1929年中だけでアメリカ国内の659行の銀行が倒産し、1933年までにはなんと9500もの銀行が破たんに追い込まれた。膨大な銀行の倒産―金融恐慌―は当然、全預金者を文無しに突き落とし、全産業に波及し、無数の企業を倒産に追い込み、大量の失業者を生み出した。更にこのアメリカ発の大恐慌は忽ち世界中に飛び火し、欧州、アジア、全世界に波及、その結果として、世界で2400万の労働者が失業のため飢餓と窮乏のドン底に突き落とされ、農業分野でも数千万の農民が困窮生活に陥り、或いは土地を失い、流亡生活に追い込まれた。1929年10月24日のこの日より3年間に亘って世界の資本主義は恐慌を深化させ続けていくことになる。