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(小林尹夫-哲学ルーム)

「ショウコウ」とあだ名されて  ~いじめと差別に関する哲学的考察~ (第2回 23.10.25)

〈哲学者Kの手紙 №1〉

 死んではなりません!勿論、殺してもなりません!絶対に!どちらにせよ、何の解決にもならないからです。自分或いは相手を殺す前に、こうしたイジメの本当の原因は何なのか、何故このような馬鹿げたことが起こるのか、それを考えることが先決でなければなりません。君をイジメている連中は生まれつきイジメっ子だったのでしょうか?そうではないはずです。それに、イジメ問題はあちこちに数え切れないほどたくさんあります。実に深刻な社会問題となっています。そうです、今N君が相対している問題は決して個人的な問題ではなく、巨大な社会的問題なのです。

イジメ行為は言うまでも無く、一つの「不正義」です。「正義」は反撃する側にこそあります。問題はその「不正義」を生みだしているものは何かということです。イジメている人間特有のもの、個人的なものなのか、彼が生きている世界・生活環境の所産なのか、もし後者であるならば、その「不正義」は単なる個人的なものではなく、社会的なものだということになります。当然解決も―「正義」の実現も―社会的なものになります。「正義」「不正義」を個人的なレベルで捉えるのか、社会的なレベルで捉えるのか、そこに根本的な「ものの見方」の違いがあるのです。

今ここで、「不正義」「正義」について、簡単に、一言で語ることはできません。とりあえず、「自分を殺すか、人を殺すか」という問題は脇に置いて下さい。ただ、「怒りは正義に発する」という言葉があることを君に伝えておきたいと思います。これは戦前に、「天皇制国家を批判した」というだけの理由で、時の軍部権力によって治安維持法違反を問われ、検挙・投獄され、敗戦直前に獄死した哲学者・三木清が残した言葉です。怒りと正義は表裏一体のものである―このことは忘れないで下さい。

 さて、何から、何処から始めるべきか。いろいろ考えた末、N君が関心を抱いたという「我が友にしてサリン事件に関わったオウム真理教信者・H」に関する話から始めることにしましょう。この問題を追究することはまた、君の直面している問題の解明に繋がっていると思うからです。

 私の回答はかなり長くなりますので、幾つかに分けて送ります。君も、私の手紙に関係なく、必要に応じて、思っていること、考えたことをぜひ書き送って下さい。出来る限り、君自身のこと、君を取り巻く環境・状況のこと等々を知りたいからです。特に、学校のこと、友達のこと、家庭内のことなど、差し障りの無い範囲で教えて下さい。勿論、常にそれは君が私に寄せる信頼の度合いが決めることであり、すべてN君の判断次第です。 

 

〈少年Nの手紙 №2〉

 突然の手紙にお返事下さり、本当にありがとうございます。ほっとして何故か涙が零れて止まりませんでした。命が、否もっと深いもの、生物的な命ではなく人間としての存在そのものが救われた感じがしています。先生は、今年の5月に連続して起こった「17歳の殺人事件」―佐賀のバス放火殺人事件、愛知の少年が「人を殺す経験がしたかった」と言って起こした主婦刺殺殺害事件、岡山の少年が起こした金属バットによる野球部の後輩殴打・母親殴打殺害事件をご存じと思います。同じような年代の僕にとって、彼らは決して遠い存在ではありません。世間の人々、マスコミは「生まれつきの変人・変態者の仕業」「精神・神経の病の結果」「アスペルガー症候群患者の犯罪」と書き立て、何か突然変異的に発生した事件であるかの様に言いはやしていますが、あまりにも単純な見方に憤りを禁じ得ません。特に佐賀バス放火事件の背後には学校のイジメ問題があり、僕は到底他人ごとには思えませんでした。先日ある雑誌で、佐賀事件を起こした少年が、ネットの2ちゃんねるで「匿名の無責任で悪意ある人物たち」とのやりとりを頻繁にした結果、ますます人間不信を強め、日常感覚を狂わせ、疑心暗鬼を募らせ、世の中に対する恐怖と憎悪に支配されていったとの記事を読み、ちょうど同じ様な状況にあった僕は、慌ててサーバー契約を打ち切り、パソコンを使えないようにしたことです。

 辛うじて今僕の暴走を止めているのは母の存在です。僕の亡くなった父は中規模の医療器具メーカーの勤め人で、4つ年下の母も同じ会社で働いていたそうです。二人とも高卒です。平凡で家族思いだった父は、僕が3歳の時にガンで亡くなりました。33歳でした。業績が傾いていた会社の開発部にいた父は自分の病気のことを隠し、不眠不休で仕事に打ち込んでいたそうでほとんど自殺に等しかったそうです。母はそれについて零すこともありましたが、今では、如何にもお父さんらしい人生だったと、笑いながら話しています。父が亡くなった直後、会社が倒産し、一家はたちまち路頭に迷うことになってしまいました。母は何とか遣り繰りしながら介護ヘルパーの資格を取り、近くの老人ホームに勤めながら今日まで僕を育ててくれました。重労働のようで、その上長時間勤務が続き、傍目にも大変な職場ですが、母はお年寄りの嬉しそうな顔を見れば疲れも吹っ飛ぶと言い、朝昼晩と休みなく働いています。

 勿論母は僕がイジメに合っていることなど知りません。そんな話に付き合っているような暇もありませんし、手を打つといっても精々担任に相談する位のことで、そんなことをしてもただ問題をこじらせるだけで、実際には何の解決にもならないことは目に見えているからです。もし親に相談したらイジメが本当に無くなるのなら、皆そうするであろうし、とっくの昔にイジメ問題など解決しているはずです。何をしてもイジメは簡単には無くならない、皆そう考えているはずです。先生のお考えはどうなのでしょうか?

                        2000年12月8日

 

 Kは、Nの母親が困難な状況下に置かれながらも労働者として極めて健全な感覚を持っていることを知り、心からの安堵を覚えた。おそらく彼女は、亡くなった夫の自殺行為に近かった仕事への打ち込み方に疑問を持っていたであろうが、今はその男らしい生き方を誇らしくも思っているのだろう。Nもまた、この母の存在を重く受け止めており、Kは、このNならこれから自分が語ろうとする哲学を必ず理解できるはず、と確信することができた。

 母子家庭の多くの場合、母親は食うための仕事に追われ、やむなく子供のこと等は放りっぱなしにせざるを得ないのが現状である。親から見離されたと錯覚し、孤独に陥った少年少女たちが,寂しさに耐えきれず、遊び仲間とつるみ、非行へと走る、そんなケースは決して少なくない。だが、そうした家庭環境もまたその時々の社会的産物であり、そこに社会的矛盾が反映している。学校環境もイジメの問題も全く同様であり、すべてがその時々の社会的産物にほかならないのだ。

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