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(小林尹夫-哲学ルーム)

『君たちは―』(第20回)・叔父さんが語った「生産関係論」について・5

君たちはどう生きるか』(吉野源三郎-私の読書体験ノート

 

(4)生産力の発展がそれに応じた生産関係(人間の相互関係、 階級社会、権力と国家)を作り上げ、変化・発展させる。

 生きる事、そのための食・衣・住の獲得、それは人類の絶対的本能的欲求である。人類は大自然の中で、大自然と共に生き抜く中で、永い年月、採集・狩猟によってその要求を満たして来たが、大自然の中で、その激動に刺激・影響され、様々な経験を蓄積し、生き抜いていくための知恵を磨き、やがて農耕・家畜飼育という自らの力で食・衣・住を生産する能力を獲得していくのである。

 こうして人類は食・衣・住を生産する力、生産力を手にし、その生活を大きく変化させていった。

 生産力の発展が生み出した最大の変化は、余剰生産物(備蓄)を生みだすことができるようになったことである。それが財産がとなった。当初これは当時の氏族社会コミュニティーの共同管理、共同所有であった。しかし備蓄物(財産)が増加するにつれ、やがて力(知能、才覚、腕力)の強い人間とその集団が、自らの本能的欲望によって自分のものにするようになる。個人的欲望が刺激され、貪欲な欲望が高まり、財産の私的独占が始まる。こうして私有化、私有財産が生み出される。そして、当然、力の強い男・男性が勢力を強めるようになり、母権制に変わって夫権制が出現する。更に、彼ら強欲で強力な人物・集団は、力まかせに、大自然が生み出した人類社会のものである土地や山まで「これもおれのものだ」とばかりに占有し、私物化してしまった。ここからコミュニティー共同体が崩壊していく。当然、内部で争いが起こってくる。こうした中で、強欲で強者たる人物・集団―支配階級―は、その手にした自らの所有、私有財産を守るための装置・武力、即ち権力機関・支配機関―国家―を作り上げた。

 この実力機関・暴力機関・権力機関たる国家は、あくまでも「公的なもの」で、「対立を公平に解決させる機関」だと主張されたが、国家機関を構成する主要な人間は、皆、強欲で強者たる人物・集団=支配階級に属する者であって、実際は、強欲で強者たる人物・集団=支配階級の利益を守るものでしかなかったのである。この国家の基本的性格は、現代の階級社会たる資本主義国家においてもまったく変わっていない。「議会」や「選挙」を持ち出して、如何にも「民主的公平性」をアピールするが、いざとなった時、最後にものを言うのは力・武力である。支配階級が平和的に自らの国家・権力機関を手放した例は、歴史上一度もない、というのが事実・真実である。

 かくして、原始共同体社会は崩壊し、社会的道徳感情はなくなり、支配者・有産者と被支配者・無産者の対立と抗争、戦争と内乱、犯罪と暴力が出現した。原始共同体社会に変わって出現したのは奴隷制社会であった。その古代奴隷制国家の典型的代表例こそが古代ギリシア都市国家古代ローマ帝国であり、日本では弥生時代の社会・国家であった。

 エンゲルスは『国家、家族、私有財産の起源』(1884年)の中で、次のように語っている。『われわれは、英雄時代のギリシャの制度のうちに、古い氏族組織がまだ生き生きとした力をもっていたのをみるが、しかしまた、すでにその崩壊の端初をもみるのである。すなわち、父権制と子への財産の相続、これによって家族内での富の蓄積が支援されて、家族が氏族に対立する一個の力となったこと。富の差が、世襲の貴族および王位の最初の萌芽を形成することによって、その制度(注:私的所有制)に反作用をおよぼしたこと。奴隷制が、さしあたりはまだたんに捕虜をもちいた奴隷制にすぎなかったのに、すでに自己の部族員やさらには自己の氏族員をさえ奴隷化する展望をひらきつつあったこと。昔の部族と部族との戦争がすでに変質して、家畜・奴隷・財宝を獲得するための陸上や海上での組織的な略奪に、正規の営利源泉になりつつあったこと。要するに、富が最高の善として讃美され尊敬されて、古い氏族秩序が富の暴力的な略奪を正当化するために乱用されたこと、これである。

 だが、一つだけがまだ欠けていた。個々人が新たに獲得した富を、氏族秩序の共産制的伝統にたいして保証したばかりでなく、また以前にはあれほど軽視されていた私有財産を神聖化し、この神聖化をあらゆる人間共同体の最高目的だと宣言したばかりでなく、あいついで発展してくる財産獲得の新しい諸形態、したがって不断に加速される富の増殖の新しい諸形態に、全社会的承認の刻印を押したーつの制度が。はじまりつつあった社会の諸階級への分裂を永遠化したばかりでなく、有産階級が無産階級を搾取する権利や、前者の後者にたいする支配を永遠化したーつの制度が。

 そして、この制度は出現した。国家が発明されたのである』と。

 国家とは何か、国家権力とは何かという問題は、こうした国家発生の歴史的経過をたどった時、始めて明確になる。

 そしてまた、戦争とは何かという問題もまた、国家とは何かという問題の理解抜きには、決して解明されることはないのである。