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(小林尹夫-哲学ルーム)

『君たちは―』(第20回)・叔父さんが語った「生産関係論」について・9

君たちはどう生きるか』(吉野源三郎-私の読書体験ノート

 

 コペル君の叔父さんは、「人間分子の関係、網の目の法則」とは「生産関係論」のことであり、既に先人(当時は書くことが認められていなかったマルクス・エンゲルスのことを指している)が学問的に明らかにしていることだと述べつつも、コペル君が自分で、自ら考え、自らの力で「網の目の法則」を「発見」したことを高く評価した。そして、先人達が既に考え、発見していることを学び、人類の経験から教わっていくよう、学問することの重要性を訴えている。

 ただ、叔父さんは「生産の社会性」の根底にある「生産者たる労働者・人民と、生産手段・生産物の私的所有者との対立という人間関係」については、詳しく語っていない。

 叔父さんは、「人間は、人間同士、地球を包んでしまうような網目を創り上げたとはいえ、その繋がりは、まだまだ本当に人間らしい関係になっているとは言えない。だから、これほど人類が進歩しながら、人間同士の争いが、未だに絶えない。裁判所では、お金のために訴訟の起こされない日は一日もないし、国と国との間でも、利害が衝突すれば、戦争をしても争うことになる」「本当に人間らしい関係とは…人間が人間同士、お互いに、好意をつくし、それを喜びとしているほど美しいことはありはしない。そして、それが本当に人間らしい人間関係だ」と述べつつ、最後に、「たとえ〝赤の他人〟の間にだって、ちゃんと人間らしい関係を打ち立ててゆくのが本当だ。…だからといって、何も今すぐ君にどうしろ、こうしろと言う訳ではない。ただ、君が大人になってゆくと共に、こういうことも、真面目に心がけてもらいたいと思っている」と伝えるにとどめている。

 資本主義とは何か。「君たちはどう生きるか」の中で取り上げられている第2の問題は「貧しき友」―豆腐屋浦川君―のことについてである。この問題の本質こそ、「生産者たる労働者・人民と、生産手段・生産物の私的所有者との対立という人間関係」にある。

コペル君は、学校を休みがちの友人・浦川君の家を訪れる。そして豆腐屋をやっている彼の家の貧しさを知る。そして、用事でお父さんが留守であること、若い衆熱を出して寝込んでいること、浦川君はこの間一家の柱となって父母を支えて豆腐作りに精を出していることを知り、叔父さんに「浦川君は立派な働き手で、彼がとても好きだ」と話す。

 叔父さんは、コペル君が貧しい友である浦川君のことを、決して侮ったり、馬鹿にしたりせず、友情をもって接していることを高く評価しつつ、「貧困」について、次のように述べている。

「今の世の中で、大多数を占めている人々は貧乏な人々だ。そして、大多数の人々が人間らしい暮らしができないでいるということが、ぼくたちの時代で、何よりも大きな問題になっている」「(東京の暑さがたまらなくなっている中で)あの数知れない煙突の一本、一本の下に、それぞれ何十人、何百人という労働者が、汗を流しほこりまみれになって働いている。…ああいう人たちが、日本中どこに行っても、―いや世界中どこにいっても、人口の大部分を占めている。あの人たちは、日常、どんなにいろいろ不自由を忍んでいかねばならないことだろう。何もかも足らない勝ちの暮らしで、病気の手当さえ十分にはできない。ましてや、人間の誇りである学芸を修めることも、優れた絵画や音楽を楽しむことも」、あの人々には、所詮叶わない望みとなっている。…人間であるからには、すべての人間が人間らしく生きて行けなくては嘘だ。…だが、今のところ、…世の中はまだそうなってはいない。人類は進歩したといっても、まだ、そこには行き着いていないのだ」「あの人々(必要なものを生産している大多数を占める労働者たち)こそ、この世の中全体を、がっしりと肩に担いでいる人たちなのだ。考えてもみたまえ、世の中の人が生きていくために必要なものは、どれ一つとっても、人間の労働の産物でないものはない。…あの人々の労働なしには、文明もなければ、世の中の進歩もありはしない」と。

 その上で、叔父さんは、ここでも、「この問題を忘れずに、いつか、その答を見つけねばならない」と提起し、コペル君に、考え続けていることを訴えて終っている。

 次回より、叔父さんが投げかけた二つの問題、更に現代の諸問題を取り上げつつ、「資本主義とは何か」という問題に関するマルクスの見解を述べていくことにしたい。